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Channel: マジカル・ミステリー”ミュージック”ツアー
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シンバルズ「My Brave Face」(1999)。。若き土岐麻子の弾けるボーカルが魅力的です。

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2013年6月にリリースされた最新アルバム「HEARTBREAKIN'」で、ご機嫌なシティポップスを聴かせてくれている土岐麻子。

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その土岐麻子は、1997年に"Cymbals"(シンバルズ)というグループでデビューを飾っています。

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Cymbalsは、土岐麻子(Vo)、沖井礼二(G,B)、矢野博康(Ds)からなる3人組で、1997年に結成、2003年に解散。

現在、土岐麻子が展開するようなシティ・ポップ路線ではなく、パンク、ロックをベースとしたグループでした。

1999年12月に発売されたCymbalsのサード・シングル「My Brave Face」では、タイトルをポール・マッカートニーの同名曲から、そしてジャケットはイギリスのロックグループ「キンクス」のアルバム「Face to Face」のパロディと、曲だけでなく、非凡なセンスを見せてくれています。

【左:ポール・マッカートニー「マイ・ブレイヴ・フェイス」、右:キンクス「フェイス・トゥ・フェイス」】
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【My Brave Face / Cymbals】
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【My Brave Face / Cymbals】

"ポスト渋谷系"などと呼ばれていたサウンド。
疾走感溢れるサウンドと若き土岐麻子のボーカルがなんとも魅力的です♪

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2003年12月にリリースされたベストアルバム「anthology」は、Cymbalsの魅力を堪能できるアルバムとなっています。

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土岐麻子の歌声は、いつの時代も変わらない魅力的なボーカルです。。


シーナ・イーストン「モダン・ガール」(1980)。。80年代のシンデレラ・ガールと言われたシーナ・イーストンのデビュー曲。

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シーナ・イーストンの登場は、1980年代と言う新しい時代の幕開けに相応しいデビューでした。。。

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大胆なショートカットに、洗練されたファッションとサウンド。。
とにかく当時は、「新しい時代の新しい女性シンガー」。。という印象が強かったように思います。

シーナ・イーストンは、1980年に「モダン・ガール」でデビュー。
デビューシングル「モダン・ガール」は、当初イギリスのチャートでは最高位56位と振るいませんでしたが、イギリスのBBCで、スター志望の女の子が歌手を目指すまでを追った番組のドキュメントでヒロインとして登場した番組が放送されると、再度チャートを上昇、最高位8位を記録しています。

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アメリカでは、「モーニング・トレイン (9 to 5)」がデビュー曲となり、全米1位を獲得。「モダン・ガール」は、セカンド・シングルとしてリリースされ、最高位18位のヒットとなっています。

【Modern Girl / Sheena Easton】

初々しいですね♪

日本盤のシングルに「スター誕生!'81、シーナはシティ。エレガンス」というキャッチコピーが付けられていますが、個人的には、まさに「モダン・ガール」の印象が強く、日本の洋楽ラジオチャート等では1位となっていた記憶があります。
そのせいか、アメリカチャートの最高位が18位だったというのは意外でした。

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昨日、ディスクユニオン新宿店で、シーナのリマスター・ベスト(輸入盤 2枚組)の新品が1,000円で発売されていたので購入し、懐かしの楽曲を楽しんでいます♪

【Sheena Easton The Collection】
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【Sheena Easton The Collection】
CD1 - Modern Girl / Morning Train (Nine To Five) / One Man Woman / Telefone (Long Distance Love Affair) / Take My Time / Hungry Eyes / Machinery / Just Another Broken Heart / Sugar Walls / Strut / Jimmy Mack / Back In The City / So Far So Good / Are You Man Enough / Ice Out In The Rain / Do It For Love

CD2 - For Your Eyes Only / We’ve Got Tonight (Kenny Rogers And Sheena Easton) / When He Shines / Wind Beneath My Wings / Paradox / You Could Have Been With Me / Devil In A Fast Car / Magic Of Love / Eternity / I Wouldn’t Beg For Water / Almost Over You / Straight Talking / A Little Tenderness / Letters From The Road / Swear


「モーニング・トレイン」「テレフォン」「ユア・アイズ・オンリー」。。

シーナ・イーストンのキラキラした歌声は、いまでも輝いて聞こえます♪

カルメン・マキ&OZ「昔」、四人囃子「一触即発」。。1975年に開催された日本ロック史上に輝く第1回ワールド・ロック・フェスティバル。

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1975年8月、70年代の日本のロックが頂点にありました。

1974年に開催された「ワン・ステップ・フェスティバル」。。
1975年7月19日に後楽園球場で開催された内田裕也主催の「サマー・フェスティバル」(出演:内田裕也&1815 Rock'n'Roll Band/カルメン・マキ&OZ/あんあんBAND/クリエイション/ジョー&Felix Pappalardi)。。

そして1カ月後の1975年8月7日に開催されたのが「YUYA UCHIDA PRESENT/World Rock Festival Eastland」でした。

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YUYA UCHIDA PRESENT World Rock Festival Eastland

日付:1975年 8月7日(木) (雨天決行)
会場:後楽園球場
開場:12:00 p.m. 開演 :02:00 p.m.
料金:A \2,800  B \2,500  C \1,500
主催:ワールド・ロック・フェスティバル実行委員会
後援:ウドー音楽事務所
前売開始 :1975年7月5日(土)
コピー :1975年夏..ついに日本列島に捲き起こる夢の一大イベント...... ここに実現、日英米、夢の対決
出演 :ジェフ・ベック/ニューヨーク・ドールズ/フェリックス・パッパラルディ・ウィズジョー/カルメン・マキ&OZ/クリエーション/内田裕也/四人囃子/イエロー/コスモス・ファクトリー他

World Rock Festival Eastland
(ワールド・ロック・フェスティバル イーストランド) 開催日程
8月3日 札幌 (真駒内競技場)
8月5日 名古屋 (愛知体育館)
8月6日 京都 (丸山公園野外音楽堂)
8月7日 東京 (後楽園球場)
8月9日 仙台 (菅生トレール・ランド)


当時、日本のトップレベルのロックアーティストにジェフ・べック、メンバーを一新したニューヨーク・ドールズ、そして、クリームのプロデューサーであったフェリックス・パッパラルディを迎え開催されたフェスティバル。

【1975年10月号のニュー・ミュージック・マガジンに詳しいレポートが掲載されています。】
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70年代にこれだけ大規模なロックフェスティバルを企画、開催にこぎつけられたのは、内田裕也しかいなかったのではないでしょうか。。

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注目度の高かったジェフ・べックは、残念ながら風邪を悪化させ、京都と仙台はキャンセル。
また、東京公演はトリの予定でしたが、変更してなんと2番手として登場。
他の公演と比較して20分程度短い演奏時間だったそうです。

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そして、この「World Rock Festival Eastland 東京公演」の音源が完全盤ではないものの、2001年にブートレグとして限定100枚の3枚組としてリリースされていました。

【表ジャケット】
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【裏ジャケット】
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私もこんなブートがリリースされていたのを知りませんでしたが、先日、リニューアルオープンしたディスクユニオン関内店で発見!

リリースされた際も、ブート専門雑誌等に掲載された時にはすでに市場からは売り切れで消えていたというアイテム。。
オークションでも10,000円を超えて取引されているという話もあるほどのアイテムですが、ディスクユニオンでは、リスナーに優しく2,600円でした♪

DISC 1
YELLOW
1. うつむいてばかり
2:Interview
3:Going Up
*Radio Broadcast
JEFF BECK GROUP
4.Constipated Duck
5.She's A Woman
6.Freeway Jam
7.Difinitely Maybe
8.Superstition
9.Keyboard Solo~Cause We've Ended As Lovers
10.You Know What I Mean
-Encore-
11.Diamond Dust
*Excellent Audience Recording

DISC 2
CARMEN MAKI & OZ
1.Introduction
2.昔
*Radio Broadcast
YONINBAYASHI(四人囃子)
3.Set-up
4.カーニバルがやってくるぞ(パリ野郎、ジャマイカへ飛ぶ)
5.空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ
6.一触即発
*Excellent Audience Recording

DISC 3
FELIX PAPPALARDI & JOE("WORLD ROCK FESTIVAL BAND")
1.Introduction
2.Make Up (Vo. Joe)
3.Theme For Imaginary Western (Vo. Felix Pappalardi)
4.Where You Wanna Go (Vo. Joe)
5.Nantucket Sleighride (Vo. Felix Pappalardi)
6.Woman(Shadow Of Lost Days) (Vo. Joe)
7.World Rock Festival Band (Vo. Felix & Joe)
-Encare-
8.Rock MC by Yuya Uchida
9.Rock'n Roll Medley (Vo. Yuya Ucida)
10.World Rock Festival Band (Vo. Felix & Joe)
*Excellent Audience Recording
WORLD ROCK FESTIVAL BAND is
ジョー山中 - Vocal
フェリックス・パッパラルディ- Bass & Vocal
竹田和夫 - Guitar
森園勝敏 - Guitar
近田春夫 - Keyboards
樋口晶之 - Drums
ウィリアム・リー・レイバック - Drums

LIVE AT KORAKUEN STADIUM, TOKYO August. 7th. 1975


とにかくびっくりしたのが、日本のバンドの演奏が収録されていること。
クリエーションは収録されていませんが、イエロー、カルメン・マキ&OZ、四人囃子に、フェリックス・パッパラルディwith ジョー(山中)。。。
そしてこのイベントのために結成された、竹田和夫、森園勝敏、近田春夫、ジョー山中、フェリックス・パッパラルディ、樋口晶之、ウィリアム・リー・レイバックからなるWORLD ROCK FESTIVAL BAND。。

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まさに歴史に残る音源だと思います。

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当時、文化放送でライヴが放送されたということで、その放送音源とオーディエンス音源が使用されています。

いろいろと当時の記事等を見ると、評判が高かったのが、ジェフ・べック、カルメン・マキ&OZ、四人囃子、そしてジョー山中。

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特にジョー山中のボーカルは凄まじく、「全身の毛穴が開き、耳から入った彼のボーカル-肉声が、全身をめぐってそこからふきでる」とニューミュージックマガジンには記されています。

また、ジェフべックは、初日の札幌など、羽田に到着する飛行機が遅れ、羽田から札幌へ移動し、即ステージに上がり1時間のステージを行ったそうですが、そんな様子を全く見せずにテンションの高い演奏を見せ付けてくれたそうです。

【カルメン・マキ&OZ / 昔 from "World Rock Festival"】

【四人囃子 / 一触即発 1 of 2  from "World Rock Festival"】

【四人囃子 / 一触即発 2 of 2  from "World Rock Festival"】

【World Rock Festival Band / Woman from "World Rock Festival"】

どの演奏も当時のロックバンドの高いクオリティを証明してくれる演奏です。

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翌1976年、「第2回ワールド・ロック・フェスティバル」が札幌と東京(読売ランド)で開催。
ロン&デレク、ジム・ケルトナー等の外国勢と、ジョー山中、四人囃子、紫、クリエーション等が出演していますが、1976年10月号のニュー・ミュージック・マガジンのレヴューを読む限りでは、残念ながら前年ような熱狂的なライヴとはならなかったようです。。

この後、日本のロックは大衆化してゆきますが、「第1回 World Rock Festival Eastland」こそ、まさに日本のロック・スピリッツが頂点にあった時期だったと言ってもいいかもしれません。。

カルメン・マキ&OZ「午前一時のスケッチ」(1974)。。日本ロック史上最高峰の女性ボーカリスト、カルメン・マキ&OZ衝撃のデビューシングル。

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70年代に聞いていた数少ない日本のロック・アーティストの中でも、ジョー山中とカルメン・マキは、その凄さに圧倒されたものでした。。

【フラワー・トラヴェリン・バンド「SATORI」とカルメン・マキ&OZ「LIVE」 ともに愛聴盤でした。。】
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アイドル的な歌謡曲フィールドで活躍していたカルメン・マキが、「ジミ・ヘンドリックスとジャニス・ジョプリン」の影響から歌謡界をフェード・アウトし、ロック・ボーカリストとして、ブルース・クリエーション等との共演を経て、カルメン・マキ&OZの結成から3年。。
満を持して1974年にポリドールからシングル「午前一時のスケッチ」でデビューしました。

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【午前一時のスケッチ(Album Version) / カルメン・マキ&OZ】
*残念ながらシングル・ヴァージョンが見つかりませんんでした。。

当時、女性でハードなロックを歌っていた唯一の存在だったような気がします。。(少し前には、内田裕也とともに活躍していた麻生レミがいました。)

その圧倒的な歌声は、とても魅力的で、歌謡曲時代の「時には母のない子のように」も覚えていただけに、その変身ぶりにびっくりした記憶があります。。

カルメン・マキ&OZは、1977年10月の解散後は、再結成することはほとんどありませんでしたが、カルメン・マキのライヴにOZのメンバーであったギターの春日博文などが参加し、OZナンバーを歌うこともありました。

YouTubeに貴重なライヴ映像がアップされていましたので、ご紹介します。

【カルメンマキ&OZ 復活!「午前1時のスケッチ」】

おそらく1995年のライヴだと思います。
それにしてもカッコイイです♪

この後、1997年に1日だけ、お世話になった方の追悼ということで、OZが復活。
全8曲のライヴを聴かせてくれています。。

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残念ながら、現在カルメン・マキは「OZの曲は歌わない」と言われています。。

しかし、近年も精力的なライヴ活動や舞台等を続けており、2013年8月リリースの泉谷しげるのニュー・アルバム「昭和の歌よ、ありがとう」でも泉谷とデュエットするなど、幅広い活動で、ファンを楽しませてくれています。。

日本のハードロック界最高峰の女性ボーカリストであったカルメン・マキ、そしてOZ。。
70年代のライヴ等の発掘音源がリリースされることを心待ちにしたいです。。。

ジョージ・ハリスン「Shelter In Your Love(1985 未発表曲)」&「Blow Away(1978 Demo)」。。Mクローデル・レーベルより久々に登場したジョージのレア音源集。

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ジョージ・ハリスンの未発表音源やデモ音源、ライヴ音源などをヒストリー的に収録した、久々のレアアイテム音源集「ALL THOSE YEARS LATER VOL.1 1971-1986 【2CD】」

【素晴らしいジャケットです。】
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数ヶ月前にリリースされ、西新宿のBFで見かけて以来、ずっときになっていましたが、ようやく手に入れました。

ジョージの未発表音源やデモ音源は、「All Things Must Pass」音源は多く出回っているものの、その他の音源は、あまり表に出てくることが少なく、ここ数年は、過去にリリースされた音源の再編集など、マニアにとっては、少し淋しい状態が続いていました。。

今回、リリースされた「ALL THOSE YEARS LATER VOL.1 1971-1986」。。
過去にリリースされた音源や、ジョージのオフィシャル盤のボーナストラックに収録されていた音源等も多いですが、個人的には初めて聴く音源も数曲あり、とても興味深い内容になっていました。

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ALL THOSE YEARS LATER VOL.1 1971-1986 【2CD】

DISC ONE
RONNIE SPECTOR SESSIONS Apple Studios London U.K.
Feburuary 1971
01. You alternate take

"BANGLA DESH" SESSIONS The Record Plant Los Angeles CA U.S.A.
July 1971
02. Bangla Desh rough mix
03. Deep Blue rough mix

THE DICK CAVETT SHOW
November 23, 1971
04. Two Faced Man Two Faced Man - Gary Wright and the Wonder Wheel featuring George Harrison

HOME RECORDING 1971
05. Sue Me Sue You Blues electric guitar demo

"DARK HORSE" SESSIONS F.P.S.H.O.T. Oxfordshire U.K.
November 1973 to September 1974
06. Maya Love rough mix
07. Ding Dong Ding Dong alternate take
08. Dark Horse alternate take

ROCK AROUND THE WORLD October 1974
09. Dark Horse
10. Awaiting On You All
11. Far East man
12. I Don't Care Anymore

RUTLAND WEEKEND TELEVISION
December 26, 1975
13. The Pirate Song

"THIRTY THREE & 1/3" SESSIONS F.P.S.H.O.T. Oxfordshire U.K.
May - September 1976
14. Learning How To Love You early mix

SATURDAY NIGHT LIVE NBC Television Studios with Paul Simon  New York NY U.S.A.
November 18, 1976
15. Here Comes The Sun
16. Homeward Bound
17. Bye Bye Love
18. Yesterday - Bridge Over Troubled Water - Rock Island Line

"MO" SESSIONS Worner Bors. Studios Burbank CA U.S.A.
March 1977
19. Mo

DISC TWO
"GEORGE HARRISON" SESSIONS F.P.S.H.O.T. Oxfordshire U.K.
March - October 1978
01. Here Comes The Moon demo
02. Blow Away demo

HOME RECORDING 1980
03. Life Itself early studio demo

"SOMEWHERE IN ENGLAND" SESSIONS F.P.S.H.O.T. Oxfordshire U.K.
March - October 1980
04. Save The World demo
05. Save The World Greenpeace remix
06. Flying Hour
07. Lay His Head
08. Sat Singing
09. Tears Of The World
10. Tears Of The World remix version

"GONE TROPPO" SESSIONS F.P.S.H.O.T.
Oxfordshire U.K.1982
11. Mystical One demo
12. Dream Away early rough mix
13. Dream Away 'Time Bandits' film mix

STUDIO DEMOS
1983 - 1985
14. Abandoned Love
15. I Don't Want To Do It
16. Shelter In Your Love

HEARTBEAT CONCERT National Exhibition Centre Birmingham U.K.
March 15, 1986
17. Johnny B Goode

注目は、"DARK HORSE" SESSIONSや"THIRTY THREE & 1/3" SESSIONS、"GEORGE HARRISON" SESSIONSといった、過去にほとんど流出することのなかったジョージの自宅スタジオ音源。

特に、「Ding Dong Ding Dong alternate take」、「Dark Horse alternate take」、「Learning How To Love You early mix」、「Blow Away demo」等、個人的に初めて聞いた音源も多く、びっくりしています。

【Blow Away demo / George Harrison】

アコースティックギターのみによるデモは、逆に曲の良さが惹き立ちます♪
こちらは、オフィシャルPVヴァージョン。

【George Harrison - Blow Away】

そして、ジョージのオフィシャルガイド等でも紹介はあったものの、一切音源が出てこなかったのが、1985年12月に故アルヴィン・リーと共作活動を行っていた時期に制作された未発表曲「Shelter In Your Love」

あまり音は良くないものの、ジョージらしいメロディが美しく、なぜ、オフィシャルにリリースされなかったのか不思議なくらいです。

【Shelter In Your Love - George Harrison】

ディスクもピクチャーディスク仕様のプレス盤。
とても充実した作品です♪

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その他の音源も、「You」のオルタネイトテイク、ゲイリー・ライトのサポートとして素晴らしいスライドを聴かせてくれる「Two Faced Man」、ポールサイモンとの共演、モンティ・パイソンのTV番組「RUTLAND WEEKEND」で、「My Sweet Lord」のパロディを聞かせてくれた「The Pirate Song」、レコード会社にリリースを拒否された音源の数々と、纏まった形で聞けるのは嬉しい限りです。

【George Harrison's Pirate Song Rutland Weekend Television】

初めてこの音源を聴いたのは1977~8年頃だったでしょうか。。
当時、情報が少なかったため、音源の出どころもわからず、ただただ、びっくりしたものでした。。。

Mクローデル・レーベルの「ALL THOSE YEARS LATER」は最近、Vol.2もリリースされていますので、Vol.2も近々ご紹介させて頂きます♪

スティクス「ザ・ベスト・オヴ・タイムス」(1981)。。人気絶頂となったデニス・デ・ヤングのソングライティングが光る名バラード。

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1972年9月(米国)、アルバム「スティクス」でデビューしたスティクス(Styx)
初期のスティクスは、プログレ色が濃く、1stアルバム1曲目には13分以上にも及ぶ組曲「Movement for the Common Man」を収録。
ヒットこそしなかったものの、高い評価を受けました。

【Styx / Styx (1972)】
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その後、バンドはプログレ色から、ポップ路線にシフトチェンジ。
1975年には2年前にリリースしていた「レイディ」が全米2位まで上昇、その後、ギタリストとしてトミー・ショウが加入しバンドは徐々に人気を博してゆくこととなります。

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1979年にはリード・ボーカリストのデニス・デ・ヤングが書いたバラード「ベイブ」が初の全米1位を獲得。
アルバム「コーナーストーン」も全米い2位というヒットとなりました。

デニス・デ・ヤングとトミー・ショウという、タイプの違うソングライティングセンスを持つふたりがバンドのメインとなり人気バンドとなったスティクスは、1981年1月、1920年代から1950年代にシカゴに存在した映画館等からなる施設"パラダイス・シアター"の栄枯盛衰をコンセプトにしたアルバム「パラダイス・シアター」をリリース。

人気、実力ともに頂点を迎えることになります。。。

【Paradise Theater / Styx (1981)】
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【裏ジャケット】
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このアルバムからのファーストシングルとなった「ザ・ベスト・オヴ・タイムス」は、「ベイブ」同様、デニス・デ・ヤングが手掛け、「ベイブ」と並びスティクスの名バラードとして、人気の高い楽曲となっています。
(私がスティクスを初めて聞いたのは、この「ベイブ」でした。)

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【The Best Of Times / Styx】

この頃から日本でもスティクス人気は広まり、洋楽ファンの間でも名前は浸透、洋楽チャートにも常連となっていった気がします。。。

本アルバムは、スティクス初となるアルバムチャート1位を獲得。
名実ともにバンドは頂点を迎えました。。

翌1982年1月には初来日し、日本武道館公演を含む全国で6公演が開催され熱狂的に迎えられています。

また、1983年には日本語の歌詞を含む「ミスター・ロボット」がリリースされるなど、日本での人気はかなり高いものでした。。

この頃の大規模ツアー等により、スティクスはデニス・デ・ヤングとトミー・ショウの間に亀裂が生じ、バンドは徐々に低迷、1990年にはトミー・ショウがバンドを脱退。

1996年にトミー・ショウがバンドに復帰し、活動を続けますが、今度はデニス・デ・ヤングが脱退。。。
その後、デニス・デ・ヤングはバンドに戻ることはないものの、現在に至るまで、スティクスはコンスタントに活動を続けています。。。

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まさにバンドとして最も創作意欲に溢れ充実していた作品だった「パラダイス・シアター」。
今でも時々、聞いてしまいます♪

村田和人「Stay the Young」(1987)。。安藤芳彦の歌詞と村田の切ないメロディが見事にマッチした村田クラシック。

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2013年6月、他人に提供した楽曲のセルフカヴァー集「トレジャーズ・イン・ザ・ボックス」、そして7月には「夏!夏!夏! Best Album-Non Stop DJ Mix - Universal Edition」と2カ月連続で新作をリリースしてくれた村田和人。
今年も元気な"夏"を私たちに提供してくれました。

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そんな村田さんが1987年6月にリリースしたアルバム「BOY'S LIFE」

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L.A.と東京で録音された本作は、全曲、安藤芳彦作詞によるアルバムの統一感、そして村田も納得のボーカルの仕上がりと、「その後の村田ミュージックの原点」と本人が語るほどの自信作なりました。

このアルバムからのセカンド・シングルとなった「Stay The Young」

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パイオニア・カー・オーディオ「カロッツェリア」のCMソングだったこの曲は、村田自身も「シングル向きではない曲」と思っていたそうですが、広告代理店の方がとても気に入りCMソングとして採用されたそうです。

【Stay The Young / 村田和人】

♪僕が髪を切って だいぶ変わったと 君は言うけれど 違う
♪君は守る物が 増えすぎたから どこか臆病に見える
♪Dreamer 一秒刻みに 年老いて行く お互い様だよ
♪涼しい顔して 諦めるのが 上手な生き方には 思えない

誰もが経験する時。。
それを勇気づける二番に続く歌詞。。

涼しい顔をして 諦めないで あの日の夢の続き 話しなよ
Stay The Young!Stay The Time!。。

【懐かしのアルファムーンからのリリースでした。】
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切なくも、もう一度前を向いて気持ちを若く!と歌われる歌詞がなんとも沁みる年齢になってしまいました(^^ゞ

「スティーリー・ダンを思わせるアレンジ」(村田和人談)は、ロニー・フォスターと村田和人。
ジョージ・ベンソンのバンドで活躍していたブランドン・フィールズが、中間部の印象的なサックス・ソロを聞かせてくれています。

"夏全開"というよりも”夏の海辺の夕暮れ時”がとても似合いそうな「Stay The Young」。
CMに採用した広告代理店の方、お目が高いです♪

スムース・リユニオン「When You Hit That 6th Note」(2008)。。北欧のスティーリー・ダン、Smooth Reunionのセンス溢れるAORサウンド。

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スムース・リユニオン(Smooth Reunion)。。

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ギターを中心に様々な楽器を担当するジョセフ・メリン(1987生まれ)と、ドラムを中心に担当するサミュエル・アンドレ(1986生まれ)によるスウェーデン出身の二人組。

スティーリー・ダンを彷彿させるそのサウンドは、早くから高い評価を得ることになりました。。。

スムース・リユニオンのコンセプトは、Groovy、Jazz、Fank、Soul。。。
AORに欠かせないサウンド要素を持ち合わせています♪

2007年にミニ・アルバムでデビュー。
2008年には待望のフル・オリジナルアルバム「クリーニング・アップ・ザ・ビジネス」をリリースしています。

【Cleaning Up The Business / Smooth Reunion (2007)】
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この一風変わったジャケットは、「指名手配中の音楽犯罪者を捕まえるエージェント」。。。というコンセプトだそうです(笑)。

サウンドの方は、20代とは思えないほど、落ち着いたサウンド・メイクで、見事なまでにドナルド・フェイゲン、スティーリー・ダンを彷彿させてくれます。。

「クリーニング・アップ・ザ・ビジネス」より「When You Hit That 6th Note」をご紹介します。

【When You Hit That 6th Note / Smooth Reunion】

イントロ、そしてメロディ、歌い方。。どれをとってもドナルド・フェイゲンを彷彿させてくれるサウンドです♪
そのままと言ってもいいかもしれないです(笑)。

もう1曲「The Connection」をご紹介します。

【Smooth Reunion / The Connection】

それにしても若いっ(^^ゞ
こちらはグル―ヴ感溢れるサウンドで、PVを見ても爽やかになります♪

こういう若いグループが出てくると嬉しくなってしまいます♪
北欧AOR恐るべしです(^^ゞ

ボウイ、GLAY等の名プロデューサーとして活躍中の佐久間正英氏、末期癌を公表。

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佐久間正英氏。。

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四人囃子のベーシストとして活躍、1985年頃よりプロデューサーとして、ボウイ、The Street Sliders、JUDY AND MARY、GLAY等、J-POPのバンドブームを作り上げてきた佐久間正英氏が2013年8月9日付の自身のWebサイトで自らが末期癌であることを公表されました。

【四人囃子時代】
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佐久間正英氏Web Site:Masahide Sakuma

【1991年:ソロ2作目「in a garden」】
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【1992年:ソロ4作目「SANE DREAM」】
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1989年、佐久間正英、岡井大二、坂下秀実の3人で四人囃子を復活させアルバム「DANCE」を発表。

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更に、森園勝敏、佐藤ミツルというメンバーも含め、ライヴアルバム「LIVE FULL-HOUSE MATINEE」をリリース。

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1990年代前半に佐久間氏がリリースしたソロ・アルバム「in a garden」、「SANE DREAM」はフェイバリット・アルバムとして、当時、よく聞いていたものでした。

2010年8月、日比谷野音で開催された「第1回Progresive Rock Fes」でも日本代表として四人囃子が出演。
素晴らしいパフォーマンスを見せてくれ、四人囃子健在を感じさせてくれたものの、残念ながら佐久間氏は、これを最後に四人囃子としての活動を中止してしまいました。。。

2000年以降、自らの新たなサウンドを追求し続け、早川義夫をはじめ、数多くのミュージシャン達と音楽を作り上げてきた佐久間氏。

来週、8月14日には脳腫瘍の手術を受けるとのこと。。

ファンとしてご回復を祈るばかりです。。

エイジア「Face on the bridge」&「Heat of the moment」(2013)。。新ギタリスト"サム・クールソン"加入で若返った?エイジア・サウンド。

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2013年1月のスティーヴ・ハウによるエイジア脱退声明。
そして、エイジアは、スティーヴ・ハウの後任ギタリストとして、サム・クールソン(Sam Coulson)の加入を発表。

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2013年6月以降、サムを含め新生エイジアとして、積極的にライヴを展開しています。

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6月7日に開催されたスウェーデンでのロック・フェスティバルの模様がYouTubeにアップされていますが、25歳の若きギタリストを迎えたエイジアは、タイトなサウンドを聞かせてくれています。

スウェーデンでのロック・フェスティバルから1曲「フェイス・オン・ザ・ブリッジ」をご紹介します。

【Face on the bridge (Live SRF 2013)】
Sweden Rock Festival June 7

サム・クルーソンの演奏も加入したばかりにも関わらず、バンドに馴染んでいる感じで素晴らしい演奏を聞かせてくれています。

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もう1曲、「ヒート・オヴ・ザ・モーメント」をご紹介します。

【Asia - Heat of the moment (Live SRF 2013)】
Sweden Rock Festival June 7

単純にスティーヴ・ハウのプレイと比較することは出来ませんが、若きギタリストに刺激を受けた3人のオリジナル・メンバーの演奏も素晴らしいです♪

この11月に来日するエディ・ジョブソンのライヴ・ゲストとして、ジョン・ウェットンも来日を予定しますが、2013年にニュー・アルバム「Valkyrie」のリリースも発表している新生エイジアをぜひ日本で観たいものです♪

ジョージ・ハリスン「This Guitar」(1992) 。。セルフカヴァーがあった!貴重な音源満載の「ALL THOSE YEARS LATER VOL.2 1971-1986 【2CD】」

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先般ご紹介させて頂いたジョージ・ハリスンのヒストリー・レアアイテム音源集「ALL THOSE YEARS LATER VOL.1 1971-1986 【2CD】」

そして今回は第2弾となる「ALL THOSE YEARS LATER VOL.2 1971-1986 【2CD】」のご紹介です。

【Vol.1に続き、Vol.2も素晴らしいジャケットです。】
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ちなみにこれがVol.1のジャケットです。

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どちらもセンスが素晴らしいジャケットです♪


ALL THOSE YEARS LATER VOL.2 1986-1998 【2CD】
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DISC ONE
"SHANGHAI SURPRISE" SESSIONS F.P.S.H.O.T. Oxfordshire U.K. February - June 1986
01. Shanghai Surprise
02. Someplace Else
03. Hottest Gong In Town rough mix
04. Hottest Gong In Town edited & alternate mix

THE PRINCE'S TRUST CONCERT Wembley Arena Wembley U.K.
June 5, 1987
05. While My Guitar Gently Weeps
06. Here Comes The Sun
07. With A Little Help From My Friends
08. Stand By Me

June 6, 1987
09. While My Guitar Gently Weeps
10. Here Comes The Sun
11. With A Little Help From My Friends

GUEST APPEARANCE WITH BOB DYLAN Wembley Arena Wembley U.K.
October 17, 1987
12. Rainy Day Women #'s 12&35

X'MAS MESSEGE FOR WARNER BRO. PROMOTIONAL SAMPLER 1987
13. Ding Dong Ding Dong demo
14. Dark Horse unreleased 1974 tour

ROCKLINE Los Angeles Studio Studio City CA U.S.A.
February 10, 1988
15. Drive My Car
- Here Comes The Sun
- The Bells Of Rhymney
- Mr. Tambourine Man
- Take Me As I Am
- That's All Right
- Let It Be Me
- Something
- Every Grain Of Sand

THE MOVIE LIFE OF GEORGE Shepperton Film Studios London U.K.
October 1, 1988
16. Honey Don't
17. That's All Right

DISC TWO
GUEST APPEARANCE WITH ERIC CLAPTON Los Angeles Forum Los Angeles CA U.S.A.
May 1, 1990
01. Instrumental Jam
02. Crossroads
03. Sunshine Of Your Love

GEORGE FORMBY CONVENTION Winter Gardens Blackpool U.K. March 3, 1991
04. In My Little Snapshot

MR.ROADRUNNER London Mid-1991
05. Between The Devil And The Deep Blue Sea

JEFF PORCARO BENEFIT CONCERT Los Angeles CA Decebber 14, 1992
06. Introductions
07. With A Little Help From My Friends

NEW VOCAL RECORDING 1992
08. This Guitar (Can't Keep From Crying)

DEMO RECORDING WITH JIM CAPALDI 1996
09. Doing The Bonzo Dog demo

GENTE QUE BRILHA Friar Park Oxfordshire U.K. October 31, 1996
10. Here Comes Emmerson

YIN & YANG VH-1 Studios New York NY U.S.A.
May 14, 1997
11. All Things Must Pass
12. Prabhujee
13. Any Road
14. If You Belong To Me

CARL PARKINS' MEMORIAL SERVICE
Womack Memorial Chapel Lambuth University Jackson TN U.S.A
January 23, 1998
15. Your True Love


このVol.2。。。Vol.1以上にレアな音源が満載ですが、個人的に驚いたのが次の音源です。

1)1987/06/05 プリンス・トラスト・ロック・コンサート初日音源
1987年、イギリスのチャールズ皇太子が主催する「プリンス・トラスト・ロック・コンサート」にリンゴ・スター、エリック・クラプトン、エルトン・ジョン、ジェフ・リンなどと参加し、18年ぶりにイギリスでパフォーマンスを行ったことで、大きな話題になりましたが、実はこの時、6月5日、6月6日と2日間に亘ってジョージは参加しており、6月6日のパフォーマンスは、ビデオCD等でもリリースされているため、比較的多く目にする機会もありますが、この初日に関しては、映像・音源ともにいままで全く観たこと、聞いたことがなく初めてでした。
残念ながら、音質はオーディエンス録音で、音はよくありませんが、そのかわりファンの「キャー!」という熱狂的な叫び声が収録されており、臨場感あふれる音源となっています。
また、初日のラストにベン・E・キングとともに演奏した「Stand By Me」も収録されています。

05. While My Guitar Gently Weeps
06. Here Comes The Sun
07. With A Little Help From My Friends
08. Stand By Me

2)1988/10/01 ハンドメイド・フィルムズ10周年記念祝賀パーティー音源
ジョージの出資し設立した映画会社「ハンドメイド・フィルムズ」。その10周年を記念した祝賀パーティーで、ジョージがカール・パーキンスとともに演奏した、「Honey Don't」「That's All Right」のロカビリー2曲が収録されています。
残念ながら、2曲とも音質はとても良いのですが「The Movie Life Of George Harrison」というドキュメントからの収録のようで「Honey Don't」はフェード・イン&フェード・アウト、「That's All Right」は途中、関係者のインタビューが収録されています。しかしながら、とても素晴らしい演奏で一聴の価値ありです。

16. Honey Don't
17. That's All Right

【"Honey Don't" George Harrison Carl Perkins 10/01/1988】

【"That's Alright Mama" George Harrison Carl Perkins Joe Brown 10/01/1988】

3)このアルバムの目玉!1992年にレコーディングされた「ギターは泣いている」のセルフカヴァー。

08. This Guitar (Can't Keep From Crying)

「This Guitar (Can't Keep From Crying) 」が何の目的でリ・レコーディングされたか、一切謎。。。
これもジョージのヒストリー等で確認出来ない音源です。
しかも、ジョージ・ハリソン、デイブ・スチュアート、ボブ・ゲルドフ、によりレコーディングされたようで、デイヴ・スチュワートのプロジェクト「Platinum Weird」の一環として収録された模様です。

その様子を撮影していたと言われるチューチョ・マーチャン(ユーリズミックスでベースを弾いていました。が自身のWebサイトで1996年に公開し、この音源の所在が明らかになったと言われています。

【George Harrison - This Guitar (Can't Keep From Crying) (Rehearsal)】

チューチョ・マーチャンのWebサイトでは、28分にも及ぶセッションの様子がアップされています。

【GEORGE HARRISON - DAVE STEWART - BOB GELDOF - CHUCHO MERCHAN - RECORDING STUDIO】

今回のアルバムに収録された「This Guitar」のは、この時に録音された音源のようです。。。

4)1996年、元トラフィックのジム・キャパラルディとのデモ・レコーディングといわれる音源
これも謎の音源。ジョージのヒストリー等でも確認出来ない1996年、ジム・キャパラルディとのデモ音源。
タイトルを見ると「ボンゾ・ドッグ・ドー・ダー・バンド」との関連?と思ってしまいます。
数々のSEを活用したイントロなど、ユニークな仕上がりになっています。

09. Doing The Bonzo Dog demo

【George Harrison - Doing the Bonzo Dog】

そのほか。。。
【ボブ・ディランのライヴへの出演】
・1987年10月17日、ロンドン、ウェンブリー・アリーナで開催されたコンサートのアンコールに出演。「Rainy Day Women #12&35"」をプレイ。
【エリック・クラプトンのライヴへの出演】
・1990年5月月1日、ロサンゼルス、LAフォーラムで開催されたコンサートに出演。「ジャム演奏」「Crossroads」「Sunshine Of Your Love」をプレイ。これが翌年の日本ツアーへの布石と言われています。
【ジェフ・ポーカロ追悼コンサート】
・1992年12月14日、ロサンゼルス、ユニバーサル・アンフィ・シアターで開催されコンサートに出演。「With A Little Help From My Friends」を演奏。
この4日前にロスで、ポールとプライベートで会い一緒に過ごしています♪
【カール・パーキンス葬儀での演奏】
・1998年1月23日テネシー州ジャクソンのランバス大学で開催されたカール・パーキンスの葬儀にて「Your Ture Love」を演奏。

その他にも映画「上海サプライズ」のレア音源や、ワーナーに提供したデモ音源、イベントやTV出演時の音源など、数多くのレアな音源が収録されています。

今回もディスクは、ピクチャーディスク仕様のプレスCD。

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更にこのシリーズ、Vol.1、Vol.2を収納可能なスリップケースが付いています(Vol.1に付いてきます。)

【これがスリップケースの表】
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【そしてこれが裏】
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もったいなくて使えません(笑)。

これだけの音源を取り纏めてくれているのは、本当にありがたいことです♪

本作品をリリースしたMクローデル・レーベル。
このあと、「All Things Must Pass」関連の音源リリース。さらに「Bangla Desh Concert」の昼夜両日がリハーサル音源を含みリリース予定と超話題作のリリースが続くそうです。。

当分、ジョージファンは、金欠が続きます。。

エレクトリック・ライト・オーケストラ「ターン・トゥ・ストーン/Turn To Stone」(1977)。。ELO絶頂期にリリースされたポップセンス光る楽曲。

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1976年にリリースされたアルバム「オーロラの救世主/A New World Record」の世界的大ヒットにより日本においても人気が爆発したエレクトリック・ライト・オーケストラ(ELO)。

翌1977年8月にリリースした7枚目のスタジオアルバム「アウト・オブ・ザ・ブルー」はその人気と、バンドの好調ぶりを象徴するように2枚組アルバムとしてリリースされました。

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このアルバム、付録でジャケットの円盤が作れる紙の切り抜きセットがついていて、当時、作って飾ったものです。

【ニューミュージック・マガジン 1978年3月号の広告】
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アウト・オブ・ザ・ブルーは予約のみで400万枚以上のリリースを記録。
1978年の全英年間チャートでも第2位と大ヒットを記録しています。

本アルバムから第1弾シングルとしてリリースされたのが、アルバムの1曲目に収録されていた「ターン・トゥ・ストーン/Turn To Stone」でした。

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【ELO - Turn To Stone HD Audiophile Remaster】
*埋め込み無効のため、でYouTubeでご覧下さい。

「ターン・トゥ・ストーン」は全米ビルボードチャートでは、最高位13位と惜しくもベスト10入りを逃していますが、日本のラジオ洋楽チャートでは、ベスト10の上位にランクしていた記憶があります。

ジェフ・リンは後年、「あの時代は書くもの書くもの全てがうまくまとまったんだ。それに出来あがった曲はいつもキャッチーだった。素晴らしくいい曲に仕上がったよ。ほんの数年間でヒットを連発した-最高の気分だったさ。。」と語っています。。。

まさに、ジェフ・リンの創作意欲が絶頂期だった時期の名曲だと思います。

クラトゥ「ニー・ディープ・イン・ラヴ」(1980)。。ビートルズの覆面バンドと言われたクラトゥ、ポップセンス溢れる4枚目のアルバムからのシングル曲。

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クラトゥ(Klaatu)。
1976年にリリースした1stアルバム「3:47 EST(邦題:謎の宇宙船)」、そしてシングル「謎の宇宙船(Sub-rosa Subway)」(*現在の邦題は「秘密の地下道」。)が、ビートルズ中期のサウンドと、ポール・マッカートニーの歌声に似ているということから、「ビートルズの覆面バンド?」というキャッチフレーズで、日本でも騒がれました。

【3:47 EST(邦題:謎の宇宙船)】
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当時はメンバーの素性も明らかにされないままでしたが、クラトゥの楽曲「コーリング・オキュパンツ」をカーペンターズがカヴァーするなど、様々な話題を賑わせました。。(カーペンターズヴァージョンは、ビルボードチャート32位(Adult Contemporaryでは18位)、UKチャートでは9位を記録、クラトゥバージョンは、ビルボードチャート62位。)

【The Carpenters - Calling Occupants of Interplanetary Craft】

日本では翌1977年にリリースされた2ndアルバム「ホープ/HOPE 邦題:来るべき世界」までは日本盤としてリリースされましたが、その後のアルバムに関しては日本盤はリリースされず、クラトゥの話題もほとんどには入ってこない状況でした。。。

そんなクラトゥですが、近年、再評価が進み、2009年に日本でも全ての作品が紙ジャケでリリースされるなど、ようやく日本でもバンドの全貌が広く知られるようになっています。

クラトゥは、1978年にバンドも素性を明らかにし、カナダ出身のバンドであることや、メンバーについても情報がリリースされるようになったようですが、サウンド面では、ビートルズのポップセンスとプログレ色がミックスされたサウンドは、その後も健在で、1982年に解散するまでに5枚のアルバムのリリースしています。

【クラトゥのメンバー】
左より
ジョン・ウォロシャク John Woloschuk(Keyboards, Bass, Guitars)
テリー・ドレーパー Terry Draper(Drums, Percussion)
ディー・ロング  Dee Long(Guitars, Vocals)
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1980年にリリースした4枚目のアルバム「エンデインジャード・スピーシーズ/Endangered Species 」は、絶滅危惧種をテーマとしたコンセプト・アルバムとなっていますが、レコード会社の以降により、初期のよりポップなサウンドが求められ、メンバーには不満の残る作品となってしまいました。

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しかしながら、ビートルズのDNAが感じられる楽曲もあり、アルバムとしての魅力は充分に感じられる作品となっていると思います。

今回は、このアルバムからシングルカットとなった「ニー・ディープ・イン・ラヴ/Knee Deep In Love」をご紹介します。

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【Klaatu - Knee Deep In Love】

どことなくポール・マッカートニーを思わせるボーカル。。
そしてビートルズを思わせる演奏とアレンジ、コーラス。
決してメンバーが言うような悪い作品だとは思いません。

クラトゥはこの後、1枚のアルバムを残し解散してしまいますが、再評価の高まりとともに2005年には、メンバーが集結し、ライヴを行っています。

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ビートルズ人気の高い日本においてもライヴをぜひ行ってほしいグループです♪

泰葉「シンシアリー・ユアーズ / Sincerely Yours」(1986)。。引退前のラスト・シングルとなった後期を代表する名曲。

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2013年8月3日に上野精養軒で開催された泰葉活動再開第2弾となったディナーショー「ピアノと歌で夏の夜」

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ディナーショーでは、「"林家"特製ハヤシライス」をメインとしたディナーがふるまわれ、チケット予約者には直筆の来場御礼の手紙が、一人ずつの名前入りで用意されるなど、泰葉さんの心がこもったディナー・ショーとなりました。。。

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【ハヤシライスは撮り忘れました。。でも牛肉がふんだんでとても美味でした♪】
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ショー自体も、1時間30分を超えるピアノの惹き語りによる歌と絶好調のトークで、200名近くの観客を大いに楽しませてくれました。

そのディナーショーで2曲目に歌われた「Sincerely Yours」

結婚を機に引退する前、最後の作品となった7枚目のアルバム「YAHHOO!!/ヤッホー」(1986年9月25日)に収録され、このアルバムから唯一のシングルカットとなった8枚目のシングル「Sincerely Yours/Don't You Know」(1986年9月25日)でした。

【アルバム YAHHOO!!】
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【シングル「Sincerely Yours / Don't You Know」】
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前作「White Key(1984年9月5日)」より2年ぶりとなったアルバム「YAHHOO!!/ヤッホー」は、松本伊代への提供曲「夏のRELIFE」や、少女隊への提供曲「YES、IT'S MY HEART」のセルフ・カヴァーを含み、時代の流行サウンドに取り入れつつ、泰葉らしい美メロは健在で、これ以降、現在に至るまでオリジナル・アルバムがリリースされていないのが、なんとも残念でなりません。。

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シングルとなった「Sincerely Yours」。。。

「Sincerely Yours」とは、アメリカで手紙に使われる結語であり、相手に対する尊敬や愛情を意味する、日本で用いる「敬具」と同じ意味を持つ言葉で、泰葉自身の作詞ではないですが、この時期の泰葉の気持ちを代弁しているような"小林まさみ"による歌詞がなんとも意味深に響きます。
曲は泰葉らしいポップなメロディ・ラインが親しみやすい楽曲で、ピアノの弾き語りで聴くと、更にこの曲も魅力が増すと思います。

【Sincerely Yours / 泰葉(オリジナル・ヴァージョン)】

【ポリドール系列のBROADWAY RECORDSからのリリースでした。】
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この曲は現在リリースされている唯一の泰葉のCD、ゴールデン・ベストにも収録されているので、ぜひ機会があればお聞きください♪

いよいよ9月5日には、スイートベイジル139にて、ジャズ・ピアニストの前田 憲男氏をゲストに迎え、JAZZライヴを開催する泰葉さん。(http://stb139.co.jp/site/calender/cal2/3848.html)

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"初"となるジャズライヴ、いまから楽しみです♪

山根麻衣「フーリン・マイセルフ」(1980)。。松下誠がサウンド・プロデュースしたファースト・アルバムがタワー・レコードより待望の再発!

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70年代~80年代の良質なシティ・ポップスを次々と復興してくれているタワーレコードの<Light Mellow's Picks x Tower to the People>復刻シリーズ。

この7月3日に待望の、そして奇跡の復刻と言える1枚、山根麻衣の1stアルバム「たそがれ」がリリースされました。

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この復刻、ブロ友の"とおるさん"の記事で最初に知った際には、驚きとともに嬉しい気持ちでいっぱいでした。。。

山根麻衣は、1979年、ヤマハ・コッキーポップの入賞を契機に1979年3月25日、シングル「午前0時/YOU DON'T HAVE TO SAY」でデビュー。

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スケールの大きい女性ボーカリストとして期待されましたが、‌本人の素質を生かしきれず。ヒットには至らず。。

そして、このデビューシングルでアレンジャーとして参加していた松下誠が、彼女のサウンド・プロデューサーとして関わることになりました。

当時の松下誠は、AB'Sへの参加(1983)はおろか、ソロデビューも果たしておらず、1979年に信田かずおとのユニット「ミルキー・ウェイ」(これもタワレコから復刻されました。)としてアルバムをリリース。スタジオ・ミュージシャンとして頭角を現しはじめた頃でした。

こうして松下誠というセンス溢れるサウンド・プロデューサーを得た山根麻衣。

1980年5月にリリースされたファースト・アルバム 「たそがれ」は、作家陣に山根麻衣本人の他、中村きんたろう、芳野藤丸、安部恭弘といったシティ・ポップ・センス溢れるミュージシャンが曲を提供したほか、「All By Myself」で有名なエリック・カルメンが「フーリン・マイセルフ」という曲を書き下ろすなど、話題性、内容ともに高いアルバムとなりました。

私が山根麻衣を知ったのも、このエリック・カルメン作の「フーリン・マイセルフ」でした。。。

また、レコーディングには、全8曲のうち7曲のアレンジを担当した松下誠の他、カシオペアの向谷実(Key)、「ミルキー・ウェイ」で一緒に活動した信田かずお(Key)、そして東北新幹線というグループでとしてシティ・ポップスの歴史に残る名盤「THRU TRAFFIC」(1982)を聴かせてくれた鳴海寛(G)らが参加。
山根麻衣の妹、故山根栄子もコーラスで参加しています。

なお、曲を提供した芳野藤丸は、この頃、松下誠と全く接点がなかったようで、単に曲を提供しただけだったようです。

ファースト・アルバム「たそがれ」は、松下誠のサウンド・プロデュースのもと、ブルース、ロック、シティ・ポップスと山根麻衣のスケール感溢れるボーカルが堪能できるアルバムで、当時、山根麻衣のような本格的な女性ボーカリストは、数少なかったように思います。

今回は、このアルバムから「フーリン・マイセルフ」をご紹介します。

【山根麻衣 / フーリン・マイセルフ】

私は、1982年~83年の頃、柳ジョージが井上堯之と結成したバンド"THE BAND OF NITE"に妹の栄子とともに参加していた山根麻衣を生で見る機会がありましたが、素晴らしい歌声に感動したものでした。

爆発的なヒットこそしていませんが、セカンド・アルバムの 「Sorry」、サードアルバムの「WILL」も素晴らしい作品です。
【セカンドアルバム「Sorry」】
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また、1990年代以降は、福山雅治、井上陽水、アンジェラ・アキ、大黒摩季、尾崎豊、中島みゆき、浜田省吾、LUNA SEA、渡辺美里など、数多くのミュージシャンのレコーディングやライヴに参加、またアニメの世界でも数多く作品にボーカルとして参加しています。

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2001年には、名前を山根麻以に改名。
現在は活動の拠点を富士山麓に移し、自然やスピリチュアルを題材に歌手活動を続けています。。。

奇跡的な復刻が続く<Light Mellow's Picks x Tower to the People>復刻シリーズ。
これからも期待できそうです♪


【R.I.P】山口冨士夫(享年64歳)。。伝説と言われたロック・グループ"村八分"のギタリスト逝去。

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「村八分」「裸のラリーズ」などのロックバンドで活躍したミュージシャンの山口冨士夫さんが8月14日、都内の病院で死去した。64歳だった。

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衝撃のニュースでした。。。
しかも、第二報で死因が伝えられ、「米国人の大学生の男に突き飛ばされて後頭部を打った。病院で急性硬膜下血腫と診断され、一時意識不明の状態だった」という話を聴いて更に衝撃が走りました。。

1960年代後半、GSグループ"ダイナマイツ"では、伝説のボーカリスト瀬川洋とのコンビネーションにより一味違うGSサウンドを展開。

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そして1969年、日本のロック史上最大の伝説となっているグループ「村八分」を結成。

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「アンファン・テリブル~恐るべき子供達」。。"村八分"は当時そう呼ばれ、京都大学西武講堂を中心に活動。
山口冨士夫は、1971年、ミュージックライフのインタビューで「世界で一番すごいのはストーンズと村八分だ。」と答えています。

出演を予定していたライヴには出演せず、気が乗らなければ1曲で終了、写真を撮られることを拒否し、インタビューにもほとんど答えず。。

存在していた時期から「幻のグループ」と呼ばれていた"村八分"。

オリジナルの日本語のロック・バンドとして全国に噂が広がってゆく中、1973年5月5日、京都大学西部講堂で収録された唯一のオリジナルアルバム「ライブ」をリリース。

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しかし、このアルバムがリリースされた時には、すでに解散していた。。まさに伝説のグループでした。(1979年に1度だけ再結成し京都大学西武講堂でライヴをおこなったものの、このライヴだけで再び解散。)

【村八分 ぶっつぶせ!!】

1980年代末から1990年代初頭には、"TEARDROPS"というグループで活動。
この頃は、メディアにも取り上げられるようになり、雑誌等でもよく見かけたものでした。。

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「俺たちは、村八分の演奏を満足に聞けないような日本の奴らを軽蔑している。だが日本を(日本のロックを)軽蔑している日本人をもっと軽蔑している。俺たちは日本人だ。だからこそイギリスに行くんだ。日本人として行くんだ。」(1972年1月号ニューミュージック・マガジン)


近年は、あまり体調もすぐれず満足な活動も出来なかったようですが、2013年8月4日の本人のブログでは、「年取るのも悪くないぜあと2~3ヶ月したら、本気でライブやったるぜ~~~~!」と発言され、今後の活動にも触れていた 山口冨士夫さん。。

その早すぎる死が悔やまれるとともに、ご冥福をお祈り致します。。

アルヴィン・リー「I Want You」(1993)。。ジョージ・ハリスンが参加したビートルズのカヴァー作品。

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テン・イヤーズ・アフターのギタリスト、アルヴィン・リーが2013年3月に亡くなり、早くも5か月が過ぎ去りました。

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驚異の早弾きギタリストとして1969年の”ウッド・ストック・フェスティバル”で名を馳せたアルヴィン・リー。。
タイプは全く違いますが、ジョージ・ハリスンとの交流も多く、ジョージはアルヴィン・リーの4枚のアルバムに曲の提供やギタリストとして参加しています。

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ジョージ・ハリスンがアルヴィン・リーのレコーディングに最後の参加となったのは、1993年12月にリリースされたアルヴィン・リーのソロアルバム「Nineteenninetyfour」でした。

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このアルバムでジョージは2曲にスライド・ギターで参加、そのうちの1曲は、なんとビートルズの"Abbey Road"に収録されていたジョン・レノンの名曲「I Want You」への参加でした。

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ビートルズの「I Want You」を彷彿させる、短いながらもはっきりとジョージと分かるスライド・ギターが実に印象的です。

【Alvin Lee - I Want You (She's So Heavy)】

原曲に忠実なアレンジ、アルヴィン・リーのブルース・フィーリング溢れるギター・ソロ、素晴らしいカヴァー作品になっています。

ジョージ・ハリスンとアルヴィン・リー。。
どういうきっかけで交流が始まったのかわかりませんが、ジョージが4度もレコーディングに参加するほど、感性が
あった関係だったのだと思います。

高田真樹子「送り風」(1977)。。ポプコン出身シンガーの早すぎた?シティ・ポップス作品。

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1973年 第6回ヤマハ・ポピュラーソング・コンテスト。
応募曲数 約22,000曲の中からグランプリに選ばれたのは、小坂明子「あなた」でした。(もう1曲、伊勢功一と卍(まんじ)の「さすらいの美学」も同グランプリを受賞)

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16歳の小坂明子の歌う「あなた」は、第4回世界歌謡祭においてもグランプリを受賞。
200万枚以上の売り上げとなる大ヒットとなりました。

そしてこの第6回ヤマハ・ポピュラーソング・コンテストにおいて優秀曲賞を受賞した1曲の中に高田真樹子の「糸」という曲がありました。

高田真樹子は、第4回世界歌謡祭においても予選出場を果たしていますが、本選に進む事はなかったようです。

こうして小坂明子の裏に隠れてしまった感のある高田真樹子ですが、ポプコンをきっかけに翌1974年「屋根」(作詞:高田真樹子、作曲:萩田光雄)という曲でデビュー。

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「屋根」はポプコン出身歌手らしい良質なポップスで、小坂明子の「あなた」を彷彿させる仕上がりとなっています。

「屋根」を含む、1974年リリースのファーストアルバム「MAKIKO first」は、2003年にCD化されるなど、根強い人気を誇っています。

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この頃は、土屋昌巳、斎藤ノブ、松原正樹などのアーティストのバッキングにより活動していたそうです。
また、その麗しいルックスから、グラビアにも再三登場していた模様です。

その高田真樹子がキティに移籍して1977年にリリースしたセカンド・アルバム「不機嫌な天使」

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このアルバムからイメージも一転、サウンド面でもキティ関連の林哲司、来生たかお、星勝、ミッキー吉野等による楽曲が収録され、参加ミュージシャンも、高中正義、高橋ユキヒロ、後藤次利、今井裕といったサディスティックス関連のメンバーを始め、ミッキー吉野、浅野孝巳、スティーブ・フォックス、原田裕臣といったタケカワユキヒデを除いたゴダイゴ・オリジナルメンバーが参加するなど、今見ても超贅沢なサポートにより制作されています。

高田真樹子のボーカルもアダルトな雰囲気を醸し出し、アーティストとしての成長ぶりを見せてくれています。

このアルバムに収録された、作詞:小椋佳、作曲・編曲:星 勝による「送り風」は、早すぎたシティ・ポップスとも言える作品で、80年代にリリースされていれば、話題性も評判も変わっていたのでは。。と思わせる良質な作品に仕上がっています。

【送り風 / 高田真樹子】
レコーディング・メンバー
今井裕/Electric Piano、長井充男/Electric Guitar、安田裕美/Acoustic Guitar、後藤次利/Electric Bass
村上秀一/Drums、浜口茂外也/Latin Percussion、大原繁二/Hamond Organ
シンガーズ・スリー/Chorus、星勝/Chorus
*埋め込み禁止のためYouTubeでお聞きください。

この後、高田真樹子は、結婚を機に1978年に活動を停止、1997年に活動を再開し、マイペースながらアルバムをリリースする傍ら、出身地の新潟県で女性専門のボイストレーニング教室「VOCAL TRAINING STUDIO」を開校しています。

早すぎたシティ・ポップスの名盤。。これもタワレコ復刻期待です♪

ザ・ビートルズ「イエロー・サブマリン/タックスマン/ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア/アンド・ユア・バード・キャン・シング」。。お買い得感のある4曲入りコンパクト盤

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日本におけるビートルズのシングル盤は、解散後もたびたびリリースされ、CD盤も含めると51枚ものシングルがリリースされているようです。

そして、60年代~70年代にかけては、4曲入りのEP盤(コンパクト盤)というレコードが、日本では12枚リリースされています。(CDによるコンパクト・レコードのボックスもリリースされています。)

中学生の頃、なかなかアルバムが購入できなかった私は、シングルレコードを集めるのが手軽で楽しく、数多くのシングルを集めましたが、唯一、コンパクト盤で購入したのが「リボルバー」からピックアップされた、「イエロー・サブマリン/タックスマン/ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア/アンド・ユア・バード・キャン・シング」の4曲が収録されたアナログ盤でした。

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このコンパクト盤、オリジナル・リリースは1966年12月にオデオン盤としてリリースされましたが、私が購入したのは、1976年頃だったので、ロゴはアップルになっています。

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裏面に記載されている解説は、オリジナルのままのようで、解説の冒頭には、「東芝レコードから二枚の画期的なアルバムがリリースされています。ピーター・ポール・アンド・マリーの「PPMフォーク・ロックを歌う」それにビートルズの「リボルバー」。特に「リボルバー」の日本での評判は大へんなものです。」と書かれています。

【SIDE A : Yellow Submarine / Taxman】
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アップル盤なので、レコードのラベル部分も、懐かしのアップルです♪

【SIDE B : Here There And Everywhere And Your Bird Can Sing】
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こちらは歌詞カード。

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シンプルな歌詞カードです。。

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EP盤、もっと購入しておけばよかったなぁ。。などど今更思います。。

アンディ・ギブ「ディザイアー」(1980)。。。没後25年、オリジナル・アルバム&ベスト・アルバムがリイシュー。

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アンディ・ギブ。

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ビージーズのギブ家5番目の子供で1977年に19歳でデビュー。
デビュー曲「恋のときめき」、「愛の面影」、「シャドー・ダンシング」等のNo.1ヒットをもち、甘いマスクもあり、ティーンエイジャーからも多くの支持を得ていたアンディ。

しかしながら、1988年3月、ニューアルバムの制作作業中、胸の痛みを訴え入院。
そして、ウイルス感染による心筋炎でわずか30歳で逝去。。
亡くなる直前にアンディがビージーズの一員として参加することが決定していたものの残念ながら実現しませんでした。。。

そしてアンディ・ギブの没後25年となる今年2013年、オリジナル・アルバム3枚とベスト・アルバムがリイシューされ、日本でも8月21日にリリースされます。(全商品ともに定価1,800円とお買い得です♪)

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1)ファースト・アルバム「フロウィング・リヴァーズ/邦題:恋のときめき」(1977年)*写真左上
全米アルバム・チャート19位。全米シングル・チャート1位「恋のときめき」、同1位「愛の面影」収録のデビュー・アルバム。

2)セカンド・アルバム「シャドー・ダンシング」(1978年)*写真右上
全米アルバム・チャート7位。全米シングル・チャート1位「シャドー・ダンシング」、同5位「永遠の愛」、同9位「愛をすてないで」収録のセカンド・アルバム。

3)サード・アルバム「アフター・ダーク」(1980年)*写真左下
全米アルバム・チャート21位。全米シングル・チャート4位「ディザイアー」、同12位オリヴィア・ニュートン・ジョンとのデュエット曲「アイ・キャント・ヘルプ・イット」を収録のサード・アルバム。

4)ベスト・アルバム「グレイテスト・ヒッツ」(1980年)*写真右下
全米アルバム・チャート46位。アンディ・ギブのヒット曲のほぼすべてを収録した12曲入りのベスト・アルバム。アンディ・ギブのヒット曲のほぼすべてを収録。生前最後のレコーディングで収録された4曲の未発表曲の中の1曲、「マン・オン・ファイヤー」も収録。

ビージーズのバリー、ロビン、モーリスの3人が全面バックアップし制作された作品の数々は、"アナザー・サイド・オヴ・ビージーズ"とも言うべき良質な作品で、ビージーズ作品とともに多くの方に聞いてもらいたい。。そんな作品です。

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今回は、ビージーズの3人が共作し、コーラスとして参加した1980年のヒット曲「ディザイアー」をご紹介します。

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【Andy Gibb / Desire】

日本でも人気の高かったアンディ。
私も当時、アルバムを購入し、夢中で聴きました。

人懐こそうな笑顔が今も忘れられないひとりです。。。
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