Quantcast
Channel: マジカル・ミステリー”ミュージック”ツアー
Viewing all 499 articles
Browse latest View live

スィング・アウト・シスター「フォーエヴァー・ブルー」(1989)。。流行に左右されないサウンドが心を捉えます。

$
0
0
1984年にイギリスで結成、1986年末に発売したシングル「ブレイクアウト」が全米6位、全米4位となる大ヒットとなり、一躍その名を轟かせたスィング・アウト・シスター

イメージ 1

日本でも「ブレイクアウト」の洗練されたサウンドは、多くのファンを生み出しました。

ファースト・アルバムリリース時は、キーボード担当のアンディ・コーネル(Andy Connell)、ドラムのマーティン・ジャクソン(Martin Jackson)と、ヴォーカルのコリーン・ドリュリー(Corinne Drewery)のトリオ編成でしたが、1989年、アルバムレコーディング中にドラムのマーティン・ジャクソンが脱退、2人組となりました。

そして1989年末にリースされたアルバム「Kaleidoscope World/カレイドスコープ・ワールド」

イメージ 2

現在のスィング・アウト・シスター・スタイルを確立したアルバムと言われ、ジミー・ウェッブを迎えオーケストレーションを効果的に利用し、時代に流されない音楽を聞かせてくれた名盤として高い評価を得ています。

このアルバムからシングル・カットされている「フォーエヴァー・ブルー」
ゆったりしたグル―ヴ感とオーケストラによるサウンドは、まさに映画を見ているようなサウンドです。

イメージ 3

【Swing Out Sister - Forever Blue (1989) 】

1996年には、「Now You’re Not Here」(あなたにいてほしい)が、日本のTVドラマの主題歌として採用され、30万枚を越える大ヒットとなり、1997年第11回日本ゴールドディスク大賞洋楽部門のグランプリ・シングルを受賞しています。

未だ変わらぬスタイルで、日本に多くのファンをもつスィング・アウト・シスター。
夏の夜、静かに聴きたくなるサウンドです♪


ザ・ビートルズ「ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト」(1967)。。曲の元となったサーカス・ポスターが復刻。

$
0
0
ザ・ビートルズの頂点、そしてロック史上の頂点とも言われる1967年にリリ-スされたザ・ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」。

イメージ 1

このアルバムのA面ラスト7曲目に収録されていた「ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト - Being for the Benefit of Mr. Kite!」

【Beatles Rock Band - Being For The Benefit Of Mr. Kite】

ジョン・レノンが偶然入った骨董屋で見つけた”1843年のサーカス団のポスター”の宣伝文句からヒントを得て作った曲と言われていますが、この度、このサーカス団のポスターレプリカ版が1967部のみ限定販売中となっています。

イメージ 2

イメージ 3

PR用の動画も制作されています。

【LENNON'S POSTER】

ジョン・レノンとポール・マッカートニーの共作と言われているこの曲。
2013年のツアーで、ポールが初めてセットリストに取り上げています。

【Paul McCartney - Being for the Benefit of Mr. Kite! 】

日本のツアーでも聴けるのでしょうか??

こちらは、アンソロジーに収録されたデモ・ヴァージョン。

【The Beatles - Being for the Benefit of Mr. Kite! [Take 7]】

ビートルズに少しでも関連のある商品は、昔も今も変わりなくビジネスとして利用され続けます。。。

広谷順子「ジャスミン・ティー・ドリーム」(1983)。。松任谷正隆、難波弘之、新田一郎などが参加したシティ・ポップの隠れた名作。

$
0
0
広谷順子が1983年に発表した「ENOUGH」
この6月にタワーレコードの<Light Mellow's Picks x Tower to the People>復刻シリーズとして初CD化された1枚でした。

イメージ 1

01.  A Song  (広谷順子、広谷順子、編曲:広谷順子)
02.  Shell Blue Eyes  (森田由美、作曲: 広谷順子、編曲:西本明 / 新田一郎)
03.  ジャスミン・ティー・ドリーム (竜真知子、、作曲: 広谷順子、編曲:松任谷正隆)
04.  Seaside Parking (森田由美、作曲:広谷順子、編曲:新田一郎)
05.  夜はボサノバ (有川正沙子、作曲: 広谷順子、編曲:西本明)
06  Leaving Home (森田由美、 作曲:広谷順子、編曲:若草恵)
07  Here Comes the Moon (森田由美 / 大岩宇宙、作曲:広谷順子、編曲:広谷順子)
08. Paper Moon (笠井徳勇、作曲: 広谷順子、編曲:西本明)
09. 地上からBon voyage!(竜真知子、作曲: 広谷順子、編曲:松任谷正隆)
10.  Odyssey (冬杜花代子 / 森田由美、作曲:広谷順子、編曲:難波弘之)
11.  A Song _reprise (広谷順子 / 森田由美、作曲:広谷順子、編曲:難波弘之)


1979年2月 「道」でデビューした広谷順子。

イメージ 2

大きなヒットもなく、1983年にリリースした3rdアルバム「ENOUGH」以降は、アルバムをリリースすることがなかったものの、歌の上手さもあり、松任谷由実、松田聖子、稲垣潤一、中森明菜、吉田拓郎、SMAP、スピッツ、松平健、堀内孝雄、谷村新司、水樹奈々、Every Little Thingなど、数々のアーティストのコーラスを担当。
J-POPを支える裏方として、現在も活躍しています。

今回、復刻された「ENOUGH」は、松任谷正隆、難波弘之、西本 明、新田一郎、若草 恵などがアレンジを手掛け、松任谷正隆  (key, synth)、難波弘之 (key, synth)、西本 明 (key, synth)、今 剛 (g)、伊藤広規 (b)、新田一郎 (tp, flh)、岡本敦男 (ds)、林 立夫 (ds)、青山 徹 (g)、高水健司 (b)、吉川忠英  (g)、兼崎順一 (tp, flh)、土方隆行 (g)、山木秀夫 (ds)、浜口茂外也 (perc)、そうる透 (ds)といった一流ミュージシャン達がサポート。

実に素晴らしいシティ・ポップ作品として、一部で高く評価されていたアルバムでした。
広谷順子の書く曲もセンス良く、松任谷正隆や新田一郎などのアレンジとも実に相性がいいようです。

今回はこのアルバムから松任谷正隆のアレンジが光る「ジャスミン・ティー・ドリーム」をご紹介します。

【ジャスミン・ティー・ドリーム / 広谷順子】

この時期に松任谷正隆がアレンジを担当していた須藤薫の作品を彷彿させます。
この頃の松任谷正隆が関わったシティ・ポップ作品は”ハズレなし”だと思います♪

現在、広谷順子は、コーラス、他のシンガーへの作品提供を続けていますが、ご主人の木戸やすひろ(こちらも素晴らしきシンガーです。)とユニット“綺羅”結成し、現在、スタジオワークと共にライブ活動を続けています。

2013年6月に5年ぶりにリリースされた綺羅のアルバム「帰去来」より「十六夜」をご紹介します。

【綺羅 / 十六夜】

透明感ある歌声とコーラスが素敵です♪

1980年前後は、ほんとうにシティポップスの埋もれた名盤が多いです。。
タワーレコードに感謝です(^^♪

岩井宏「かみしばい」(1973)。。”かみしばい屋のあのオヤジはもういない。。”と歌われる、古き良き昭和の香り漂うフォーク・ソング。

$
0
0
岩井宏(1944年 - 2000年)。。

イメージ 1

1966年より、はしだのりひこ、北山修、加藤和彦、杉田二郎などと京都フォーク・シーンで活躍。
バンジョーの名手として1960年代末より、高田渡、岡林信康、高石ともやなどのバックとして活動、70年代前半のフォークシーンにおいて、数多くの名演を残しています。

現在、CD化されているURC、Bellwoodといった日本の初期フォークシーンを支えたレーベルからリリースされた高田渡の「自衛隊に入ろう」「大・ダイジェスト版三億円強奪事件の唄」、高石ともやの「ホーチミンのバラード」、岡林信康の「ヘライデ」や、当時のライヴ盤「フォークジャンボリー」「フォークキャンプ」といったライヴ音源でも、素晴らしいバンジョーをきかせてくれています。

当時の音楽シーンの中でも最年長のメンバーだった岩井宏は、多くのアーティストからも信頼され、加川良は「僕にとっては大恩人です。(中略)。。いわば加川良という唄うたいは、岩井さんが生み出したようなもので、岩井さんがいなければ「教訓」という歌は生まれてなかったんです。」と答えています。

その岩井宏が30歳になったことを記念して制作した唯一のアルバム「30才」

イメージ 2

加川良、中川イサトとともに自宅録音されたこのアルバムは、シンプルながら、味わいのある岩井宏の歌とバンジョーが堪能できます。

今回は、このアルバムから「紙芝居」をご紹介します。

【紙芝居 / 岩井宏】

"かみしばい かみしばい
かみしばい屋のあのおやじは もういない"

そう歌われる歌詞からは、昭和40年代頃までの香りが漂ってきます。。

ロッド・スチュワート「キープ・ミー・ハンギン・オン」(1977)。。1曲を2部にわけて発売された日本独自シングル。

$
0
0
ロッド・スチュワートが1977年にリリースした8枚目のソロアルバム、「明日へのキック・オフ/Foot Loose & Fancy Free」

イメージ 1

このアルバムからは、「胸につのる想い」(全英3位、全米4位)、「ホット・レッグス」(全英5位・全米28位)、「ただのジョークさ」(全米22位)などのシングル・ヒットが生まれ、アルバムも全米2位、全英3位、日本でもオリコンチャート19位と、いよいよアメリカ、イギリス以外でもワールドワイドな人気を博したアルバムとなりました。

この時期、ロッド・スチュワートは、ヴァニラ・ファッジ~カクタス~ベック・ボガート & アピスと渡り歩いたロック界を代表するドラマー、カーマイン・アピスを中心としたバンドをパーマネント・バンドとして活動、切れのあるバンド・サウンドはキャッチーでロッドのボーカルが生き生きとしていた記憶があります。。

イメージ 2

カーマイン・アピスがバンドにいた関係からか、このアルバム「明日へのキック・オフ」では、ヴァニラ・ファッジの1967年全米1位ヒット「キープ・ミー・ハンギン・オン」をヴァニラ・ファッジに近いアレンジでカヴァーしています。

「キープ・ミー・ハンギン・オン」は元々、シュープリームスが1966年に全米No.1とした楽曲ですが、3分程度の楽曲をヴァニラ・ファッジは大胆に7分にアレンジ、ロッドのヴァージョンも7分を超える作品になっています。

日本では「キープ・ミー・ハンギン・オン」の楽曲人気も高かったことから、独自にアルバムからシングル・カットされています。

「蘇るあの感動!ヴァニラ・ファッジから10年、遂にロッドが我々にロマンを呼び戻してくれた!!大好評発売中の「明日へのキックオフ」を飾る最高の作品、ファンの強い要望にこたえ、いよいよ発売!(日本のみシングル・カット)」とキャッチがつけられています。

イメージ 3
イメージ 4
イメージ 5

シングル・カットするには曲が長かったためか、1曲を「Part1」「Part2」にわけて、A面、B面に収録されています。
(*キング・クリムゾンの「21世紀のスキッゾイド・マン」もそうでした。)

イメージ 6

【Rod Stewart-You Keep Me Hangin' On】

シングルでは、A面3分53秒、B面3分31秒で、中間部の派手なブレイクでA面が終了、B面は、ブレイク後の静寂とともに始まります。

ロッドは翌1978年に賛否両論を巻き起こした「アイム・セクシー」(全英1位、全米1位」を含む、「スーパースターはブロンドがお好き/Blondes Have More Fun」をリリース。
名実ともにロック界の頂点に立つこととなります。。

スニーカー「思い出のスニーカー」(1981)。。ジェフ・バクスターがプロデュースし、ニュー・カリフォルニア・サウンドと呼ばれたバンド。

$
0
0
スティーリー・ダン、イーグルス、ドゥービー・ブラザーズ。。70年代を飾ったウェスト・コースト・ロック。
その後を継ぐバンドとして期待されたのが、スニーカーでした。

イメージ 1

スニーカーは、1973年に結成されたものの、デビューは1981年と遅く、スティーリー・ダン~ドゥービー・ブラザーズで活躍したギタリスト、ジェフ・バクスターがバンドを気に入りデビューアルバム「Sneaker」のプロデュースを担当しています。

イメージ 2
イメージ 3

その関係からか、アルバム1曲目の「ドント・レット・ミー・イン」は、スティーリー・ダンのドナルド・フェイゲン、ウォルター・ベッカーによる書き下ろし作品となっており、ジェフ・バクスターもギターで参加するなど、スティーリー・ダン・サウンドを聞かせてくれています。

イメージ 5

【Sneaker - Don't Let Me In】

このアルバムには、デビッド・フォスターも1曲参加しており、当時の日本の音楽雑誌のレビューを見ると、「ウェスト・コースト・サウンドのスマートなところを結集したようなトーンになるのは、当然と言えば当然。ニュー・カリフォルニア・サウンドはこれだ!ってな内容」と紹介されており、陰りの見え始めたウェスト・コースト・サウンドの跡継ぎとして期待されていました。。

イメージ 4

このアルバムからシングル・カットされた「思い出のスニーカー/More Than Just the Two of Us」は、この曲でボーカルを担当するマイケル・ケーリー・シュナイダーとミッチ・クレインによるオリジナルで、全米34位となるヒットとなりました。

【Sneaker / More Than Just the Two of Us】

繊細なメロディとコーラスワークが素晴らしい名バラードで、当時日本でも人気があった楽曲です。

残念ながら、アルバム自体は大きなチャート・アクションは残せず、翌年にセカンドアルバムをリリースしたのちの1983年に解散しています。

2003年には、未発表曲のアルバムが日本のレーベル"Cool Sound"からリリースされるなど、根強い人気を誇っています。

ウェスト・コースト・サウンドが絶頂だった1970年代中期~後期であれば違った評価になったかも知れません。
埋もれさせるのには、もったいないグループのひとつです。

そういえば、日本では一足早く、曲のタイトルに"スニーカー"のついた、1979年のチューリップのシングル、「虹とスニーカーの頃」が大ヒットしていた。。この曲を聴くとそんなことも想い出します。。

木戸やすひろ「ジン・ジン・ジン (Zin Zin Zin)」(1978)。。素晴らしきコーラス・ワークの名人が残した唯一のソロ・アルバム「KID」。

$
0
0
先日、タワレコから再発された広谷順子「ジャスミン・ティー・ドリーム」(1983)をご紹介させて頂きましたが、今回は、広谷順子さんのご主人で、こちらも日本のJ-POPを裏で支えるコーラス・ワークの第一人者、木戸やすひろさんのご紹介です。

イメージ 1

木戸やすひろは、1978年にシングル「Mr.Music」、アルバム「KID」でデビュー。

イメージ 2

【アルバム「KID」】
イメージ 3

その後は、セッション・シンガー、そして、稲垣潤一、KinKi Kids、郷ひろみ、SMAP、中島みゆき、福山雅治、松田聖子、ユーミン、吉田拓郎など数々のアーティストのコーラス参加等で活躍されています。

唯一のソロアルバム「KID」には、村上ポン太(Ds)、プリズムの渡辺建(B)、松原正樹(G)、高水健司(B)、羽田健太郎(P)、斉藤ノブ(PER)、芳野藤丸(G)、長岡道夫(B)、大谷和夫(P)、岡沢章(B)、松岡直也(P)、向井滋春(Trombone)等、当時売り出し中の一流のミュージシャンが参加、木戸やすひろの歌声も極上のシティポップスを奏でてくれています。

今回は、この「KID」から、荒木とよひさ作詞、木戸やすひろ作曲のボサノヴァタッチの軽快なサウンドが心地良い「ジン・ジン・ジン (Zin Zin Zin)」をご紹介します。

【木戸やすひろ / ジン・ジン・ジン (Zin Zin Zin)】

アルバム「KID」は近年再評価も高まり、2006年に初CD化されています。

また、2001年1月1日に、木戸やすひろは、奥様の広谷順子、松下誠、比山貴咏史、高尾直樹によるアカペラ・コーラス・ユニット「Breath By Breath」を結成し、5人のヴォーカルのプロフェッショナルによる素敵な歌声を聞かせてくれています。

【1stアルバム「Breath By Breath」(2002)】
イメージ 4

現在は、奥様とのユニット“綺羅”結成し、現在、スタジオワークと共にライブ活動を続けています。
奥様とともに実力派シンガーの木戸やすひろさん。

まだまだ活躍が期待されます。

森高千里「東京ラッシュ」(1998)。。細野晴臣がプロデュース、編曲、演奏と全面的にバックアップしたアルバム「今年の夏はモア・ベター」。

$
0
0
2012年5月、森高千里は歌手デビュー25周年を機に公式Webサイトをリニューアル、さらにYoutube、facebook、google+の公式ページを立ち上げ、本格的に歌手活動再開することを発表、精力的にTVの歌番組等にも出演し、変わらない美貌と歌声を披露してくれています。

イメージ 1

1998年5月、森高千里はローソンのCMで共演していた細野晴臣を迎え、「今年の夏はモア・ベター」というアルバムをリリースしました。

イメージ 2

このアルバムで細野晴臣は、プロデューサーとしてだけではなく、全曲アレンジ&ミックスを担当、更に全てのインストゥルメンタルを演奏と、まさに「森高千里&細野晴臣」名義でリリースされても不思議ではないアルバムとなりました。

【今年の夏はモア・ベター】
1.東京ラッシュ(細野晴臣「はらいそ」収録曲)
作詞・作曲・編曲:細野晴臣
2.夏の海
作詞:森高千里、作曲:高橋諭一、編曲:細野晴臣
3.Hey! 犬
作詞:森高千里、作曲・編曲:細野晴臣
4.ア・ビアント
作詞:森高千里、作曲・編曲:コシミハル
5.風来坊(はっぴいえんどカヴァー)
作詞・作曲・編曲:細野晴臣
6.ビーチ・パーティー(Instrumental)
作曲・編曲:細野晴臣
7.カリプソの娘
作詞:森高千里、作曲・編曲:細野晴臣
8.ミラクルライト(Twist Version)
作詞:森高千里、作曲・編曲:細野晴臣
9.ミラクルウーマン(Vinyl Version)
作詞:森高千里、作曲・編曲:細野晴臣

このアルバムの注目は、はっぴいえんどのカヴァー「風来坊」と1978年にリリースされた細野晴臣の名ソロ・アルバム「はらいそ」収録曲の「東京ラッシュ」のカヴァーでした。
私も、この2曲が目当てで、このアルバムを購入したものでした。

残念ながら、「風来坊」はYouTubeにアップされていなかったため、オフィシャルで制作された「東京ラッシュ」のPVをご紹介します。
細野晴臣の歌声とコミカルな姿が堪能出来ます♪

【東京ラッシュ / 森高千里】

森高千里は、この曲ではボーカルの他、”Additional drums”としてもクレジットされています。

イメージ 3

こちらは、細野晴臣オリジナルの「東京ラッシュ」です。

【東京ラッシュ / 細野晴臣&イエロー・マジック・バンド】

細野晴臣のソロアルバム「はらいそ」では、タイトルトラックの「はらいそ」のエンディングで、「この次はモアベターよ」というセリフが収録されていますが、森高千里のこのアルバムタイトルも、そのあたりを意識してのタイトルだと思います。

「今年の夏はモア・ベター」は全編にわたり、細野ワールド全開で、細野ファンにも充分楽しめるアルバムとなっています。

こちらは、シングルカットされた「ミラクルライト」のシングルCDジャケットです♪

イメージ 4

森高千里は、他のアルバムでは、ザ・ビートルズのジョージ・ハリスンの名曲「Here Comes The Sun」などもカヴァーしており、音楽好きには要チェックのアーティストのひとりです♪


コスモス・ファクトリー「追憶のファンタジー」「トランシルヴァニアの古城」(1973)。。70年代初期、日本初のプログレッシヴ・ロック・バンドと呼ばれたグループ。

$
0
0
70年代初頭、キング・クリムゾン、ピンク・フロイド、YES、EL&Pといったプログレッシヴ・ロック・バンドの人気が日本でも高まっていた頃、”日本初のプログレッシヴ・ロック・バンド”として、1973年にコスモス・ファクトリーはレコード・デビューを飾りました。

イメージ 1

泉つとむ(ボーカル、キーボード)、滝としかず(ボーカル、ベース)、水谷ひさし(ボーカル、ギター)、岡本和夫(ドラムス)の4名からなるコスモス・ファクトリーは、いち早くシンセサイザーとメロトロンを導入、そのシンフォニックなサウンドは高い人気を誇りました。

1973年にリリースされたファースト・アルバム「トランシルヴァニアの古城」は、B面に18分にも及ぶ組曲「トランシルヴァニアの古城(死者の叫ぶ森~呪われた人々~霧界~トランシルヴァニアの古城)」を収録するなど、日本のプログレッシヴ・ロックの幕開けを飾る1枚となりました。


【トランシルヴァニアの古城(An Old Castle of Transylvania) / コスモス・ファクトリー(1973)】
イメージ 2
1. サウンドトラック1984(インストゥルメンタル)
2. 神話-孤独なものたちのための
3. 目醒め
4. 追憶のファンタジー
5. ポルタガイスト(インストゥルメンタル)
6. トランシルヴァニアの古城:(死者の叫ぶ森~呪われた人々~霧界~トランシルヴァニアの古城

【トランシルヴァニアの古城(死者の叫ぶ森~呪われた人々~霧界~トランシルヴァニアの古城)】
*お時間のある方、ぜひお聞きください♪

コスモス・ファクトリーは、この当時のライヴでは、ドノヴァンやシカゴの楽曲も披露するなど、ポップな一面も見せてくれていたようです。

「トランシルヴァニアの古城」からシングル・カットされた「追憶のファンタジー」は4分弱のポップセンスも感じられる抒情的な作品となっています。

【追憶のファンタジー / コスモス・ファクトリー】

この後、1975年には、名盤セカンド・アルバム「謎のコスモス号~ジャーニー・ウィズ・ザ・コスモス・ファクトリー」をリリース。
イメージ 3

録音状態もよく、様々なエフェクトを使用し更にパワーアップしたサウンドを繰り広げてくれいています。
個人的には、コスモス・ファクトリーの中で一番好きなアルバムです♪

彼らは、この当時、ムーディー・ブルースやハンブル・パイなどの来日公演の前座として、大きな舞台も経験してゆきます。

キング・クリムゾンに大きな影響を受けていたコスモス・ファクトリーは、キング・クリムゾンの「太陽と戦慄」~「RED」に大きな影響を受け、徐々にメタル化、2枚のアルバムをリリースし、アイドル歌手の大滝裕子のバックバンドなども経験したのち、プログレッシヴ・ロックが下降線をたどり始めた1977年に解散します。。

1973年という時期に日本でプログレッシヴ・ロックを演奏していた。。
日本のロック黎明期において確実に名前を歴史に刻んだグループだと思います。

ポール・マッカートニー「New」(2013)。。2013年10月14日、ポールのニューアルバムが日本発売決定!

$
0
0
ポール・マッカートニーが2012年2月にリリースしたスタンダード・アルバム「Kisses On The Bottom」以来のニュー・アルバム「New」が日本で10月14日にリリースされます。(イギリスでは10月14日、アメリカでは10月15日発売予定)
【アルバム「New」のロゴ】
イメージ 1

2007年に発表した「Memory Almost Full」以来約6年ぶり、通算16枚目のオリジナル・アルバムとなる本作。
アルバムには12曲が収録され、日本盤にはボーナス・トラックが4曲追加される予定とのこと。

ポールが”いま”の自分が作りたい音を純粋に追求し、1年かけてじっくりと完成させたというアルバム「New」。
ローリング・ストーン誌のインタビューで「これは〈バック・トゥ・ザ・ビートルズ・アルバム〉なんだ」と語っており、実に発売が楽しみです。

プロデューサーには、エイミー・ワインハウスらの作品を手掛けてきたマーク・ロンソン、アデルのコラボレーター、ポール・エプワース、キングス・オブ・レオンのコラボレーターであるイーサン・ジョンズ、そしてビートルズのプロデューサー、ジョージ・マーティンの息子、ジャイルズ・マーティンが担当しています。

イメージ 2

個人的に興味深いのは、プロデューサーとして名前を連ねているイーサン・ジョンズ。
ザ・ビートルズやザ・ローリング・ストーンズ、ボブ・ディラン、レッド・ツェッペリン、エリック・クラプトンなどの作品を手がけたエンジニア/プロデューサーのグリン・ジョンズの息子で、自らもプロデューサーとして高い評価を得ていおり、2012年にはブリット・アワーズの最優秀プロデューサーを受賞しています。

グリン・ジョンズといえば、ビートルズのアルバム「Let It Be」が「Get Back」というタイトルだった際、2度に亘りアルバムを編集し、ミックスしたもののビートルズのメンバーからはOKが出ずにアルバムはお蔵入り。

イメージ 4

しかも、グリン・ジョンズはプロデューサーとしての報酬よりも、ビートルズのアルバムにプロデューサーとしてクレジットされる事を望みながらも、ジョン・レノンに「ビートルズの名前を利用した売名行為」と決めつけられ、アルバムのプロデューサーがグリン・ジョンズからフィル・スペクターに変更されたというエピソードがありました。。

そのグリン・ジョンズの息子、イーサンがどのようにポールをプロデュースしたか。。
これは楽しみです。

イメージ 3

ポールは、イーサンがプロデュースしたキングス・オブ・レオンのアルバムが気に入り声をかけたということですが、イーサンはポールについて、「彼が最初に言ったのは、“どうしたい?”ってことだった。僕は“ドラム・マシーンでパーカッション・ループを作ってみよう”って答えた。彼は“いいね! そうしよう!”って、“ノー”なんてことは一度も言わなかったと思うよ。これって、彼がどんなアーティストなのか象徴してる。彼はいつも、新しいことを試したいって思っているんだ」と語っています。

早くもポールの公式YouTubeチャンネルでは、新曲「New」が解禁されています。

【Paul McCartney 'New' 】

「ペニー・レイン」や「マジカル・ミステリー・ツアー」の頃のテイストが感じられる作品です♪

来日記念盤となるアルバム「New」。
発売が楽しみです♪

ブレッド&バター「渚に行こう」(1979)。。夏の終わりによく似合うブレバタの名曲。

$
0
0
ブレッド&バターが1979年にリリースした名盤「Late Late Summer」

イメージ 1

ブレバタの代表曲「あの頃のまま」を含む、70年代のブレバタを堪能できる名盤として、現在も人気のある1枚となっています。

このアルバムに収録され、シングル「あの頃のまま」のB面としてリリースされた「渚に行こう」は、ブレバタの弟、岩沢二弓がメインボーカルとなる楽曲で、ウェット感ある岩沢二弓の歌声が、去りゆく夏を飾ってくれる。。そんな気がする楽曲です。

イメージ 2

【渚に行こう / ブレッド&バター】
作詞 伊達 歩 作曲 岩沢 二弓 編曲 細野 晴臣/鈴木 茂

ロマンティックな歌声です♪
まだまだ元気に歌い続けてくれているふたり。。

イメージ 3

ずっとご機嫌な湘南サウンドを聞かせ続けて欲しいです。。。

ザ・ビートルズ「レアリティーズVol.2」(1980)。。各国の珍しいテイクを集めたオフィシャル・リリース盤。

$
0
0
1977年にリリースされたビートルズのLPボックス・セット「The Beatles Collection」。
この際、ボーナスLPとして制作された「Rarities / レアリティーズ」(イギリス編集)には、当時かなりレアだった鳥の羽ばたきヴァージョンの「Across The Universe / アクロス・ザ・ユニヴァース」をはじめ、アルバム未収録のシングルB面曲等を収録した企画盤で、かなりの反響を呼び、その後、1979年10月に単体でリリースされています。

イメージ 1

そして、このアルバムが好評だったことから、1980年5月に第2弾となる企画アルバム「レアリティーズ Vol.2」(アメリカ・キャピトル編集)がリリースされています。

イメージ 2
【裏ジャケット】
イメージ 4
【見開きジャケットの内側左】
イメージ 5
【見開きジャケット内側右】
イメージ 6

イメージ 9

このアルバムは、当時、各国でオフィシャル・リリースされていたものの、主にアメリカで未発表だったヴァージョンが違う楽曲を1枚に取りまとめたアルバムで、当時、ブートなどでもよく聴くことの出来たテイクなどもあり、「オフィシャル・ブートレッグ」?などと、思ったものでした。

日本盤のオビにも、「本当の珍品集!!」と書かれています。

イメージ 7


こちらは解説書。
イメージ 8


【Rarities vol.2 / The Beatles (1980)】
1.Love Me Do
リンゴのドラム・ヴァージョン
2.Misery
3.There's A Place
「ミズリー」「ゼアズ・ア・プレイス」ともにアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」収録ステレオ・ヴァージョン。
当時、アメリカでは Vee Jay盤「イントロデューシング・ザ・ビートルズ」のみ収録。
4.Sie Liebt Dich
当時、アメリカで初リリースされた「シー・ラヴズ・ユー」ドイツ語ヴァージョンのステレオ・ヴァージョン。
5.And I Love Her
ドイツ盤「サムシング・ニュー」に収録されたエンディングのギター・リフが長いヴァージョン。

【And I Love Her / The Beatles Rarities】

6.Help!
オリジナル・シングル盤モノ・ヴァージョン。
7.I'm Only Sleeping
オリジナル・イギリス盤収録ヴァージョン。
アメリカでは元々、「イエスタデイ・アンド・トゥデイ」に収録され、ギターの逆回転が異なるヴァージョンでした。
8.I Am The Walrus
アメリカでリリースされていたシングル「ハロー・グッバイ」のB面に収録されていたヴァージョンとイギリス盤のステレオ・ヴァージョンを編集した、このアルバムのオリジナル・ヴァージョン。
イントロリフが6回繰り返し、「I'm Crying」と「Yellow Matter Custard」の歌詞の間にドラミングが入るヴァージョン。

【I Am The Walrus / The Beatles Rarities】

9.Penny Lane
エンディングにホルンが入るヴァージョン。
10.Helter Skelter
モノラル・ミックス・ヴァージョン。フェイド・アウト後のフェイド・インがないヴァージョン。
11.Don't Pass Me By
モノラル・ミックス・ヴァージョン
12.The Inner Light
アメリカで当時初めてのアルバム収録。
13.Across The Universe
鳥のはばたきヴァージョン。オムニバス「No Ones Gonna Change Our World」収録ヴァージョン。
14.You Know My Name (Look Up The Number)
アメリカで当時初めてのアルバム収録。
15.Sgt. Pepper's Inner Groove
アルバム「Sgt.Pepper's」の最後に収録された2秒の部分。CD化された際はループされ収録されていました。
アメリカで「Sgt~」がリリースされた際は未収録であったため、このアルバムがアメリカ初登場でした。
このアルバムのためにタイトルが付けられました。

【解説の表】
イメージ 3

今でこそ様々なヴァージョンが、YouTubeやブートで豊富に聴けますが、当時、こうした音源を纏めて聴く機会はなく、リリースがとてもうれしかった記憶があります。。

アメリカでもキャッシュボックス20位、ビルボード21位と、企画盤としてはヒットしています。

残念ながら、このシリーズ、現在までCD化されることなく、「Past Masters」が同趣旨のオフィシャル盤としてリリースされていますが、ぜひCD化を含むVol.3をリリースしてほしいなぁ。。と思います。

沢田研二「彼女はデリケート」「I'm in Blue」(1980)。。佐野元春、伊藤銀次が参加したGS meets ニュー・ウェーヴ作品。

$
0
0
1980年、GSの再評価機運が高まり、ラジオなどでもさまざまな特集が組まれる中、GSグループ"ザ・タイガース"出身の沢田研二が、「G.S.I LOVE YOU」というアルバムをリリース。大きな話題となりました。

沢田研二にとって15作目となったスタジオ・アルバムで、当時、若手ミュージシャンとして注目を集め始めていた佐野元春の楽曲を3曲収録。
また、かまやつひろし、当時ジュリーの楽曲音多くを手がけていた加瀬邦彦等、70年代からジュリーとともに時代を彩ってきた盟友を起用し、"古くて新しい"サウンドを展開しています。

【G.S.I LOVE YOU / 沢田研二】
イメージ 1

1.HEY!MR.MONKEY(ヘイ!ミスター・モンキー)
作詞:糸井重里/作曲:沢田研二/編曲:伊藤銀次
2.NOISE(ノイズ)
作詞:三浦徳子/作曲:加瀬邦彦/編曲:伊藤銀次
3.彼女はデリケート
作詞:佐野元春/作曲:佐野元春/編曲:伊藤銀次
4.午前3時のエレベーター
作詞:三浦徳子/作曲:かまやつひろし/編曲:伊藤銀次
5.MAYBE TONIGHT(メイビー・トゥナイト)
作詞:三浦徳子/作曲:鈴木キサブロー/編曲:伊藤銀次
6.CAF?ビァンカ
作詞:三浦徳子/作曲:かまやつひろし/編曲:伊藤銀次
7.おまえがパラダイス
作詞:三浦徳子/作曲:加瀬邦彦/編曲:伊藤銀次
8.I'M IN BLUE(アイム・イン・ブルー)
作詞:佐野元春/作曲:佐野元春/編曲:伊藤銀次
9.I'LL BE ON MAY WAY(アイル・ビー・オン・マイ・ウェイ)
作詞:三浦徳子/作曲:伊藤銀次/編曲:伊藤銀次
10.SHE SAID……(シー・セッド)
作詞:三浦徳子/作曲:加瀬邦彦/編曲:伊藤銀次
11.THE VANITY FACTORY(ヴァニティー・ファクトリー)
作詞:佐野元春/作曲:佐野元春/編曲:伊藤銀次
12.G.S.I LOVE YOU
作詞:MARIA MESSINA/作曲:沢田研二/編曲:伊藤銀次


佐野元春は、当時、アレンジャー、バンドのギタリストとしてコンビを組んでいた伊藤銀次に「銀次に手伝ってもらえるといいんだけどなぁ。。」と話した際、伊藤銀次は「かけだしのアレンジャーみたいな僕には来ないよ。」と答えたといいますが、結果的に渡辺出版の木崎賢治氏が佐野元春のレコードを気に入っていて、アレンジに伊藤銀次という名前があったことから、「彼(銀次)にならまかせてもいい」ということになり、アルバム全曲のアレンジを伊藤銀次が担当しています。

ジュリーがもともと好きだった、「ローリング・ストーンズやビートルズのサウンドをニューウェイヴ・タッチで」というコンセプトのもと、製作された「G.S.I LOVE YOU」。

常に最先端のサウンドを取り入れ提供してくれていたジュリーのアルバムの中でもジュリー自身の「過去と現在」が見事につながった素晴らしい出来のアルバムとなっています。

【このアルバムからのシングル「おまえがパラダイス」のジャケット】
イメージ 3

佐野元春が提供した「彼女はデリケート」「I'M IN BLUE」「THE VANITY FACTORY」の3曲は、その後、佐野元春自らもセルフ・カヴァーし、「THE VANITY FACTORY」の佐野元春ヴァージョンでは、沢田研二がコーラスに参加しています。(佐野元春も「G.S.I LOVE YOU」では、2,3,8,10の4曲にコーラスで参加しています。)

この佐野元春作品から「彼女はデリケート」「I'm In Blue」をご紹介します。

【彼女はデリケート / 沢田研二】

【I'm in blue / 沢田研二】

ジュリーは、翌年の1981年、ニューウェーヴ時期の頂点となる傑作シングル「ストリッパー」とアルバム「ストリッパー」をリリースするとともに、このアルバムでみせた原点回帰の動きも平行し1981年1月以降、タイガースの「同窓会」として活動、1982年にはタイガース名義のアルバムのリリースや、タイガースとしてシングル「色つきの女でいてくれよ」を大ヒットさせるなど、変わらない充実した活動をみせてくれていました。

イメージ 2

いよいよ12月には、44年ぶりとなるオリジナル・メンバーでのタイガース再結成によるツアーを開催。。
まだまだ元気なジュリーを楽しめそうです♪

加藤和彦「貿易風」(1976)。。ミカ・バンド解散後、初のソロ・アルバムで安井かずみとの名コンビ誕生となった「それから先のことは...」。

$
0
0
1975年11月、イギリスでのライヴの成功の余韻さめやらない中、突如解散してしまったサディスティック・ミカ・バンド。。
加藤和彦・ミカ夫妻の離婚による解散というあっけない幕切れでした。。

イメージ 1

そして解散から1年後の1976年12月。
加藤和彦は、マッスル・ショールズ録音によるソロ・アルバム「それから先のことは。。。」をリリース、表舞台にカム・バックを果たしました。

イメージ 2


当時、様々なアーティストが、アメリカ録音を話題にLAでのレコーディングを行っていましたが、さすが、加藤和彦は、アメリカ南部マッスル・ショールズまで足をのばし、現地のミュージシャンとともにアルバムを制作しています。

ソロ活動のこれからを暗示するようなタイトル、ミカ・バンドとは違いレイド・バックしたサウンド。。
常に時代の一歩先を歩いていた加藤和彦らしいアルバムとなっています。

また、ミカ・バンド時代と変わり、伴侶となる安井かずみが初めて作詞を担当、全曲、加藤和彦&安井かずみ作品となっています。

今回はこのアルバムから、レゲエタッチのリズムが心地よい「貿易風」をご紹介します。

【貿易風 / 加藤和彦】

この後、加藤和彦は東京録音の「ガーディニア」(1978)、そして、ヨーロッパ3部作と呼ばれる「パパ・ヘミングウェイ」(1979年)、「うたかたのオペラ」(1980年)、「ベル・エキセントリック」 (1981年)をリリース、時代の最先端をひたすら走り続けてゆきます。。

イメージ 3

時代を超え、加藤和彦の残した音楽は輝き続けます。。

ダリル・ホール「ストップ・ラヴィング・ミー」(1993年)。。マーヴィン・ゲイの楽曲を題材に制作されたソウルフルな楽曲。

$
0
0
ダリル・ホールが1993年に発表した前作より7年ぶりとなったサード・ソロ・アルバム「ソウル・アローン」

イメージ 1

ダリル・ホールの愛してやまない”フィリー・ソウル”ことフィラデルフィア・ソウルをコンセプトにした”ソウル色”満載のアルバムとなりました。

イメージ 2

このアルバムでダリルは、マーヴィン・ゲイが1978年にリリースした「涙の向こう側/When did you stop loving me, When did I stop loving you」のフレーズをベースに曲を書き上げ、ソングライターとして、マーヴィン・ゲイ、ダリル・ホール、サラ・アレンとクレジットされた「ストップ・ラヴィング・ミー/Stop Loving me,Stop Loving You」という曲を収録、ダリル・ホールらしいソウルフルな歌声を聞かせてくれています。

こちらはマーヴィン・ゲイの「涙の向こう側」です。

【When did you stop loving me、When did I stop loving you - Marvin Gaye】

こちらが、ダリル・ホールの「ストップ・ラヴィング・ミー」です。

【Stop Loving me,Stop Loving You (1994) - Daryl Hall】

この曲は、シングル・カットされ、様々なリミックス・ヴァージョンも制作されています。

イメージ 3
イメージ 4

ダリル・ホールは、ソウルフルなナンバーがよく似合います♪


コーザ・ノストラ「ジョリー」(1994)。。アル・クーパーの名曲をグル―ヴィーにカヴァー。

$
0
0
桜井鉄太郎を中心に1991年に結成され、1994年にメジャーデビュした「COSA NOSTRA(コーザ・ノストラ)」
渋谷系サウンドとして、センスに溢れた心地よいサウンドは多くのファンを生み出しました。

イメージ 1

コーザ・ノストラが広く知られたのは、1994年12月にリリースしたセカンド・シングル「JOLIE」でした。
イメージ 2

この「JOLIE」、原曲は、ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」でのオルガン演奏や、マイク・ブルームフィールド、スティーヴ・スティルスとの「スーパー・セッション」、マイク・ブルームフィールドとの「フィルモアの奇蹟」等、60年代末のスーパーセッションの火付け役となり、70年代以降はソロ・アーティストとして活躍したアル・クーパーが1972年にリリースした「赤心の歌/Naked Songs」に収録された「JOLIE」のカヴァーで、オリジナルのアル・クーパー・ヴァージョンは、言うことのないほど素晴らしい楽曲ですが、コーザ・ノストラは、グル―ヴィーにシティ・ポップス、AORフレーヴァ―香る作品に仕上がっています。

【アル・クーパーのソロ最高傑作の呼び声も高い「赤心の歌/Naked Songs」】
イメージ 3
イメージ 4

こちらはオリジナル、アル・クーパーの「JOLIE」。

【Al Kooper / Jolie】
↓こちらからYouTubeでお聞きください。↓

こちらがコーザ・ノストラ・ヴァージョンです。

【COSA NOSTRA  / Jolie】

桜井鉄太郎は、以前、インタビューで「僕らのシーン浮上のきっかけとなったのが、この『ジョリー』をCOVERしたことであることは衆目の一致するところ。アルクーパーの全てのアルバムがリイシューされたのもコーザのおかげ、とアル本人に感謝され3年前の彼の来日公演会場で握手されたっけ。こんなGroovyな曲を作ったり、数々のモニュメンタルな仕掛けをPOP SCENEで仕掛けて来た「アルクーパー」こそ僕が理想とするプロデューサー像なのかもしれない。」と語っています。

【右が桜井鉄太郎氏】
イメージ 5

原曲をリスペクトしているからこそ出来あがった素晴らしいカヴァーだと思います。。

現在もオリジナル・メンバーである桜井鉄太郎とosadasadao(長田定男)により活動を続けているコーザ・ノストラ。
まだまだ活躍を期待したいグループです。

ザ・ビートルズ「ノルウェーの森」(1965)。。様々な試みが垣間見れるデモ・ヴァージョンの"take2"と"take3"。

$
0
0
ザ・ビートルズが1965年12月3日にリリースしたアルバム「ラバー・ソウル/Rubber Soul」

イメージ 1

それまでにリリースされたアルバムとは異なり、アーティスティックな作品が多く含まれるとともに、シタールの導入、ポールの唸るベース・ライン等、楽器においても様々な試みが見られたアルバムで、それまでのアイドル的な扱いから、一気にアーティストとして成長を遂げたアルバムとして、評価が高いアルバムとなっています。

1965年10月12日から始まったレコーディングは、アルバム・リリース約1か月前の11月4日の段階で、予定の半分しかレコーディングも済まされておらず、出来てない曲すらあった状態で、この後は、1日13時間にも及ぶレコーディングがされるなど、とてもクリスマス・シーズンに合わせ1カ月で録音されたアルバムとは思えないほど、クオリティの高いアルバムです。

イメージ 2

「Drive My Car」「Nowhere Man」「Michelle」「Girl」「In My Life」「If I Needed Someone」など、数多くの名曲が収録されている「ラバー・ソウル」の中でも、インドの民族音楽楽器シタールが世界で初めてポピュラー音楽のレコーディングで使用されたと言われる「ノルウェーの森/Norwegian Wood (This Bird Has Flown)」は、歌詞、サウンドともにジョン・レノンを代表する楽曲として、多くのファンに愛される楽曲となっています。

イメージ 3

1965年10月12日、「This Bird Has Flown」という仮タイトルでレコーディングは始まり、「This Bird Has Flown」第1テイクは、4時間半にも及んだリハーサルとレコ-ディングでしたが、メンバーは満足せず、10月21日に「Norwegian Wood (This Bird Has Flown)」として再レコーディングされています。

この日、レコーディングされたテイク1は、「アンソロジー2」に収録されましたが、同時にレコーディングされたテイク2、テイク3では、それぞれシタールを前面にフィーチャーしたヴァージョンとアコースティックをベースにレコーディングされたヴァージョンと完成までに様々な試行錯誤が繰り返された事がよくわかるヴァージョンとなっています。

まずは、シタールが大幅にフィーチャーされたテイク2をご紹介します。

【The Beatles / Norwegian Wood (Take 2)】

そしてテイク3は、ジョンとポールのボーカル、ジョンとジョージのアコースティック・ギター、ポールのベースというシンプルな構成となっています。

【The Beatles / Norwegian Wood (Take 3)】

最終的に、テイク3で試されたアコースティックをベースに再びシタールを導入したテイク4が最終ヴァージョンとなり、リミックスされ、公式ナンバーとなっています。

時間がない中でもじっくりと様々な試みがなされた「ラバー・ソウル」のレコーディングが垣間見られます。。

東京ビートルズ「抱きしめたい」「キャント・バイミー・ラヴ」(1964)。。リアルタイムでビートルズを日本語カヴァーし人気を博した東京ビートルズ

$
0
0
2020年、東京オリンピック開催決定おめでとうございます。

前回、東京でオリンピックが開催された1964年(昭和39年)。
日本の音楽界はビートルズの登場によって、大きなビートルズ・ブームが巻き起こり始めた年でした。

1962年10月5日にイギリスで「Love Me Do」でデビューしたビートルズ。

1963年後半から、その人気はじわじわとアメリカに浸透。
1964年1月のフランス公演中にアメリカで「抱きしめたい」がシングルチャート1位になり、2月に初渡米。
そして2月9日にCBSの「エド・サリヴァン・ショー」に出演。

イメージ 1

この放送が今では伝説となっているアメリカテレビ史上最高視聴率をあげ、人気は爆発。4月4日にはアメリカチャートで上位5位を独占しています。

この頃日本では、1963年末頃から1964年初頭にかけてビートルズというイギリス出身のグループがアメリカでも人気を博していると噂になり、1964年2月の始め、ビートルズがアメリカのビルボードチャートを独占し始めたという話題が日本の音楽界に伝わると、雪村いづみの事務所である「木倉プロ」が若手歌手を集め、東京ビートルズを結成しています。

イメージ 2

それまでも日本では、「東京・プレスリー」「東京・シナトラ」等と呼ばれていた歌手は存在していたようですが、日本ではまだロックが定着していなかった時代(GSブームもまだ先の話)に、「次のブームはビートルズ」と先読みした「木倉プロ」は先見の目があったのかもしれません。。

東京ビートルズは、1964年3月に結成され、2週間のリハーサルの後、横須賀のキャバレー「グランド・オスカー」でデビュー。
レコード・デビューもいち早く決まり、4月3日にはデビューシングルとなるビートルズの日本語カヴァー作品「抱きしめたい/プリーズ・プリーズ・ミー」をレコーディング、4月下旬にシングルがビクターからは発売されています。

イメージ 3

【抱きしめたい / 東京ビートルズ】

見事なまでにサックスが活躍しています♪

この後、東京ビートルズは、TV出演や、ジャズ喫茶に出演。
銀座のホステスや有閑マダム、お金持ちのお嬢様等がメイン客であった当時のジャズ喫茶で大変な人気を博し、地方公演に出かける際、東京駅には100人以上のファンが押しかけ、1万円以上の餞別や手作りのお弁当・お菓子を渡していたそうです。

1964年7月には、第2弾となる「キャント・バイ・ミー・ラブ/ツイスト・アンド・シャウト」を発売。

イメージ 4

しかしながら、このシングルが結果としてラスト・シングルとなってしまいました。。

「抱きしめたい/プリーズ・プリーズ・ミー」「キャント・バイ・ミー・ラブ/ツイスト・アンド・シャウト」の2枚のシングルでは、彼らは演奏せず、スタジオ・ミュージシャンが演奏していますが、日本ではロックが定着しておらず、ジャズやポップスをベースとしたアレンジとなり、日本語詞も含め、当時の日本の音楽が生々しく伝わってきます。。

【キャント・バイミー・ラヴ / 東京ビートルズ】

ジャズ・アレンジが曲のスィングに意外と合っています♪
「買いたい時にゃ金だしゃ買える」。。凄いの一言です!

「キャント・バイ・ミー・ラヴ」リリース後の翌8月には日劇ウェスタン・カーニバルに出演、専門家からは酷評されるも、多くのファンを生み出しましたが、翌1965年1月のベンチャーズ来日をきっかけに爆発したエレキ・ブームにより、徐々に人気は下降。。

何枚かのオムニバス盤にビートルズ・カヴァーを収録しますが、この頃からビートルズ一辺倒を脱し、オリジナルや英語によるブリティッシュ・カヴァー等、バンドとしての個性を発揮していたようです。

1966年になると、ブルー・コメッツ、スパイダース等のGSが台頭、1967年初頭に解散しています。。。

1992年の夏、大滝詠一が高田文夫のラジオ番組「ラジオ・ビバリー昼ズ」に出演、その際に東京ビートルズの話になり、大滝詠一が当時関わっていた「LEGENDARY REMASTER SERIES」(クレイジー・キャッツやトニー谷をリリース)の1枚として、1993年末にこの2枚のシングルを収録したCD「Meet The 東京ビートルズ」がリリースされ、大きな話題になりました。

イメージ 5

【「Meet The 東京ビートルズ」】
Arranged By – 寺岡真三
Lyrics By [Japanese] – 漣健児
Producer [Project Total] – 高田文夫
Reissue Producer – 大瀧詠一

1.抱きしめたい / I Want To Hold Your Hand
2.プリーズ・プリーズ・ミー / Please Please Me
3.キャント・バイミー・ラブ / Can't Buy Me Love
4.ツイスト・アンド・シャウト / Twist And Shout


私も大滝詠一が関わっていたので、すぐにCDを購入し、初めて東京ビートルズを聴きましたが、その強烈なインパクトにびっくりしたものでした。。

訳詞を担当した漣健児氏(本名:草野昌一、シンコーミュージック・エンタテイメント元会長)は、60年代の日本の歌謡界における訳詞の第一人者で、坂本九の「ステキなタイミング」(1960年)、飯田久彦「ルイジアナ・ママ」、ナット・キング・コール「L-O-V-E」、中尾ミエ「可いベイビー」、ザ・カーナビーツの「オブラディ・オブラダ」など、400曲を超える訳詞を担当し、日本にポップスを定着させた人物として高い評価を得ており、漣健児氏訳詞のCDボックスセットなどもリリースされています。

最後にこの4曲をメドレーにしたYouTubeがありましたのでご紹介します。
「ツイスト・アンド・シャウト」必聴です!

【東京ビートルズ メドレー / Meet The Tokyo Beatles】

「♪歌えよベイビーナウ~歌い明かすのよ~ランチキさわぎのダンスパーティーだ。。」
思わず歌ってしまいます♪

竹内まりや「Secret Love」(1980)。。ジェイ・グレイドン、デヴィッド・フォスター、スティーヴ・ルカサーなどが参加したAORアルバム「Miss M」。

$
0
0
1980年2月、4枚目のシングルとなった「不思議なピーチパイ」の大ヒット。
1980年3月、3rd.アルバム「LOVE SONGS」リリース。オリコンチャート3週連続トップ。
そして、同年12月に9カ月と言う短いインターバルでリリースされたのが、4th.アルバム「MISS M」でした。

イメージ 1

[L.A.サイド]
1. スウィーテスト・ミュージック
2. エヴリ・ナイト
3. モーニング・グローリー
4. シークレット・ラヴ
5. ハート・トゥ・ハート
[東京サイド]
6. 二人のバカンス
7. 遠く離れて(ホエン・ユーアー・ソー・ファー・アウェイ)
8. 雨のドライヴ
9. フェアウェル・コール

【「Miss M」L.A.サイド参加ミュージシャン】
Jay Graydon: Acoustic & Electric Guitar
David Foster: All Keyboards
Jeff Porcaro: Drums
David Hungate: Bass
Steve Lukather: Acoustic & Electric Guitar
Bill Champlin, David Foster,Jay Graydon: Background Vocals
Rhythm Arrangement by Jay Graydon & David Foster
Strings & Horn Arrangement by Greg Mathieson
Chorus Arrangement by Bill Champlin
Written by Marc Jordan, David Foster & Jay Graydon


このアルバムは、A面がLA、B面が東京でレコーディングされたアルバムでしたが、何といっても注目は、LAサイドの参加ミュージシャンでした。

ジェイ・グレイドン、デヴィッド・フォスター、スティーヴ・ルカサー、ジェフ・ポーカロ、デビッド・ハンゲイトがLAサイドのパーマネント・グループとして参加し、コーラスには、更にビル・チャップリンまで参加と言う、贅沢極まりないレコーディングとなっています。
【Miss M レコーディング時 みんな若いです】
左からルカサー、ポーカロ、グレイドン、ハンゲイト、フォスター
イメージ 2

LAサイドに収録された楽曲は、山下達郎が2曲提供のほか、ピーター・アレン、ロジャー・ニコルズが楽曲を提供していますが、4曲目に収録された「Secret Love」は、作詞:マーク・ジョーダン、作曲:デビッド・フォスター&ジェイ・グレイドンという豪華メンバーにより提供された楽曲で、コーラスには、ビル・チャップリン、デビッド・フォスター・ジェイ・グレイドンという、2度と実現しそうにない豪華メンバーがそろい踏みした曲となっています。

【Secret Love / 竹内まりや】

この「Secret Love」、ジェイ・グレイドンが2006年にリリースした未発表デモ集「Past to Present-the 70s」で、作詞を担当したマーク・アーモンドをボーカルにフィーチャーしたヴァージョンを聞くことが出来ます。

イメージ 4

【Jay Graydon (feat.Marc Jordan ) - Secret Love】

しかもこのデモ、竹内まりやヴァージョンと、オケが一緒というオチまでついています

竹内まりやの「Miss M」からは、既発シングルの「二人のバカンス」(80/07/21リリース)とアルバムと同時発売となった「SWEETEST MUSIC」(80/12/05リリース)の2曲がシングルとなっています。

イメージ 3

この後、竹内まりやは、1981年10月に5thアルバム「PORTRAIT」をリリースしたのち、休養宣言を行い、活動を停止。
翌1982年4月に山下達郎と結婚しています。。。

「Miss M」。。AORサウンドの詰まった、ぜひ聞いてもらいたい竹内まりやのアルバムです♪

雪村いづみ「ひこうき雲」。。1971~72年にレコーディングされた未発表曲をコンピレーションし1990年にリリースされたアルバム「カモン・バック」。

$
0
0
雪村いづみ。。
戦後、江利チエミ・美空ひばりと共に「三人娘」と呼ばれ、大人気を博した雪村いづみ。

イメージ 1

その雪村いずみが1971~72年にかけてアルファ・ミュージックでレコーディング(一部アメリカ録音)しながらも、お蔵入りとなっていたテープが発見され、1990年にCD「Come On Back」として9曲がリリースされました。

イメージ 2

【Come On back / 雪村いづみ】
1. さよならは悲しい言葉
2. 君は愛の光(キャロル・キング)
3. ひこうき雲
4. GUESS WHO I SAW TODAY
5. 走馬燈
6. 離婚の歌
7. COME ON BACK
8. SATISFIED
9. JUST A LITTLE LOVING

1~6が日本語、7~9が英語(おそらくこの3曲がアメリカレコーディング)と、方向性の異なるレコーディングが断続的に繰り返されていたようですが、最終的には、1974年に「服部良一の曲をキャラメル・ママとレコーディング」という企画から誕生した「スーパー・ジェネレイション」をリリース。

イメージ 3

その結果、1971年~72年にレコーディングされた楽曲は日の目をみることがありませんでした。。。

この「Come On Back」には、ユーミンの「ひこうき雲」が収録されていますが、元々は、ユーミンが雪村いづみのために書き下ろした曲で、レコーディングされたものの未発表となったため、ユーミンが自らレコーディングした。。
そんなエピソードが残されています。

【ひこうき雲  / 雪村いづみ】

とても素晴らしい歌唱で、リアルタイムでリリースされていれば、かなりの反響を呼んだのではないか。。そんな気さえします。。。

雪村いづみは、「ひこうき雲」について、「とっても好きな曲なの。それでユーミンのまっすぐで素朴な歌い方に憧れてね。一生懸命ああいう風に歌ってみようと思ったんだけど、なかなかできなくて。。」とCDのインタビューの中で答えています。

イメージ 4

当時、アルバムはリリースされなかったものの、雪村いづみは、「ひこうき雲」と「GUESS WHO I SAW TODAY」の2曲に関しては、好んで当時、定期出演していた渋谷ジャンジャンなどのステージで歌っていたそうです。

この「Come On Back」、1990年に初CD化された後、1998年にアルファ傘下のマッシュルーム・レーベル関連音源が一斉に復興された際に再発(私もこの時に購入しました。)されましたが、残念ながらその後の復刻はなく、現在に至っています。。

キャラメル・ママとの企画盤「スーパー・ジェネレイション」は、廃盤になることなく、常に手に入れられる状況にありますが、同様に人気が高い「Come On Back」については、復刻されておらず、再復刻が待ち望まれています。。

これもタワー・レコードに復刻をお願いしたい1枚です♪
Viewing all 499 articles
Browse latest View live