2020年、東京オリンピック開催決定おめでとうございます。
前回、東京でオリンピックが開催された1964年(昭和39年)。
日本の音楽界はビートルズの登場によって、大きなビートルズ・ブームが巻き起こり始めた年でした。
1962年10月5日にイギリスで「Love Me Do」でデビューしたビートルズ。
1963年後半から、その人気はじわじわとアメリカに浸透。
1964年1月のフランス公演中にアメリカで「抱きしめたい」がシングルチャート1位になり、2月に初渡米。
そして2月9日にCBSの「エド・サリヴァン・ショー」に出演。
この放送が今では伝説となっているアメリカテレビ史上最高視聴率をあげ、人気は爆発。4月4日にはアメリカチャートで上位5位を独占しています。
この頃日本では、1963年末頃から1964年初頭にかけてビートルズというイギリス出身のグループがアメリカでも人気を博していると噂になり、1964年2月の始め、ビートルズがアメリカのビルボードチャートを独占し始めたという話題が日本の音楽界に伝わると、雪村いづみの事務所である「木倉プロ」が若手歌手を集め、東京ビートルズを結成しています。
それまでも日本では、「東京・プレスリー」「東京・シナトラ」等と呼ばれていた歌手は存在していたようですが、日本ではまだロックが定着していなかった時代(GSブームもまだ先の話)に、「次のブームはビートルズ」と先読みした「木倉プロ」は先見の目があったのかもしれません。。
東京ビートルズは、1964年3月に結成され、2週間のリハーサルの後、横須賀のキャバレー「グランド・オスカー」でデビュー。
レコード・デビューもいち早く決まり、4月3日にはデビューシングルとなるビートルズの日本語カヴァー作品「抱きしめたい/プリーズ・プリーズ・ミー」をレコーディング、4月下旬にシングルがビクターからは発売されています。
【抱きしめたい / 東京ビートルズ】
見事なまでにサックスが活躍しています♪
この後、東京ビートルズは、TV出演や、ジャズ喫茶に出演。
銀座のホステスや有閑マダム、お金持ちのお嬢様等がメイン客であった当時のジャズ喫茶で大変な人気を博し、地方公演に出かける際、東京駅には100人以上のファンが押しかけ、1万円以上の餞別や手作りのお弁当・お菓子を渡していたそうです。
1964年7月には、第2弾となる「キャント・バイ・ミー・ラブ/ツイスト・アンド・シャウト」を発売。
しかしながら、このシングルが結果としてラスト・シングルとなってしまいました。。
「抱きしめたい/プリーズ・プリーズ・ミー」「キャント・バイ・ミー・ラブ/ツイスト・アンド・シャウト」の2枚のシングルでは、彼らは演奏せず、スタジオ・ミュージシャンが演奏していますが、日本ではロックが定着しておらず、ジャズやポップスをベースとしたアレンジとなり、日本語詞も含め、当時の日本の音楽が生々しく伝わってきます。。
【キャント・バイミー・ラヴ / 東京ビートルズ】
ジャズ・アレンジが曲のスィングに意外と合っています♪
「買いたい時にゃ金だしゃ買える」。。凄いの一言です!
「キャント・バイ・ミー・ラヴ」リリース後の翌8月には日劇ウェスタン・カーニバルに出演、専門家からは酷評されるも、多くのファンを生み出しましたが、翌1965年1月のベンチャーズ来日をきっかけに爆発したエレキ・ブームにより、徐々に人気は下降。。
何枚かのオムニバス盤にビートルズ・カヴァーを収録しますが、この頃からビートルズ一辺倒を脱し、オリジナルや英語によるブリティッシュ・カヴァー等、バンドとしての個性を発揮していたようです。
1966年になると、ブルー・コメッツ、スパイダース等のGSが台頭、1967年初頭に解散しています。。。
1992年の夏、大滝詠一が高田文夫のラジオ番組「ラジオ・ビバリー昼ズ」に出演、その際に東京ビートルズの話になり、大滝詠一が当時関わっていた「LEGENDARY REMASTER SERIES」(クレイジー・キャッツやトニー谷をリリース)の1枚として、1993年末にこの2枚のシングルを収録したCD「Meet The 東京ビートルズ」がリリースされ、大きな話題になりました。
【「Meet The 東京ビートルズ」】
Arranged By – 寺岡真三
Lyrics By [Japanese] – 漣健児
Producer [Project Total] – 高田文夫
Reissue Producer – 大瀧詠一
1.抱きしめたい / I Want To Hold Your Hand
2.プリーズ・プリーズ・ミー / Please Please Me
3.キャント・バイミー・ラブ / Can't Buy Me Love
4.ツイスト・アンド・シャウト / Twist And Shout
私も大滝詠一が関わっていたので、すぐにCDを購入し、初めて東京ビートルズを聴きましたが、その強烈なインパクトにびっくりしたものでした。。
訳詞を担当した漣健児氏(本名:草野昌一、シンコーミュージック・エンタテイメント元会長)は、60年代の日本の歌謡界における訳詞の第一人者で、坂本九の「ステキなタイミング」(1960年)、飯田久彦「ルイジアナ・ママ」、ナット・キング・コール「L-O-V-E」、中尾ミエ「可いベイビー」、ザ・カーナビーツの「オブラディ・オブラダ」など、400曲を超える訳詞を担当し、日本にポップスを定着させた人物として高い評価を得ており、漣健児氏訳詞のCDボックスセットなどもリリースされています。
最後にこの4曲をメドレーにしたYouTubeがありましたのでご紹介します。
「ツイスト・アンド・シャウト」必聴です!
【東京ビートルズ メドレー / Meet The Tokyo Beatles】
「♪歌えよベイビーナウ~歌い明かすのよ~ランチキさわぎのダンスパーティーだ。。」
思わず歌ってしまいます♪